三国志の主役・曹操と名門家の遠紹って子供のときからの友人ですよね?
それなのにその後お互いに強大な勢力を形成し、天下の覇権をめぐり滅ぼしあう・・・彼らの友情は終わってしまっていたのでしょうか?それとも天下平定の方策としては敵だが、一人の人間としては友人だったのでしょうか?
どちらにせよ壮大なドラマだと思います。
皆さんはどう思いますか?
当時の中国では、人は政治に携わる家柄=士人と、庶民とに別れます。
そして、学問は、士人としての資質の判断基準であり、政治と切り離せないものです。
士人の家に生まれたら、当然学問の道に入り、徐々に中央の著名な先生に
師事する事になります。
曹操・袁紹は、中央官庁で権勢を得た近しい祖先がいる貴族ですから、
早い段階に中央で学問を修め、知人であった可能性は高いでしょう。
ただし、袁紹は貴族の中の貴族の家柄、曹操は貴族としては最低ランクの家柄。
戦乱の世に家柄を重視しすぎたのが、敗因のひとつとも言われる袁紹が、
子供の頃にせよ、曹操と親しく付き合ったとは、ちょっと考えにくいですね。
曹操の言葉として残されている袁紹評も、友人に対するそれとは思えない
厳しいものです。
やはり、友人にしておいた方が面白いということで、巷間伝承や小説に
使われた俗説に過ぎず、現実には知人程度であったと考えるのが妥当でしょう。
曹家も袁家も名門ということで親交があったのでしょう。当時は出目が人間の価値を決めていましたから、名門の出身者は一様に面識があったはずです。しかし、その中にあって曹家は宦官としてのし上がった濁流出身の名門であり、そういうコンプレックスが後の家柄を問わずに人材を登用したことなどに繋がっていたのだと思います。ですから、曹操は昔から親しくとも清流派の領袖である袁紹には屈折した感情があったと思います。
他にも曹操は自分に下った名家の子女を手篭めにするといったエピソードもあり、これもやはり曹操なりのコンプレックスを反映していると思います。曹操は詩人らしく感情的なエピソードが多く、そういう意味で当時の人間の感覚を知る手がかりとしても彼の記録は貴重な史料だと思います。
幼少の頃からの友人かどうかは分かりませんが、
正史によれば、
「太祖も若いときに彼と交際があった。」(袁紹伝)
とありますので、
互いに仕官する(曹操は20歳)前あたりからの
つきあいのようです。
お互いに「信」をおくのが中国的友情ですから、
何進の宦官殺害での意見の齟齬や
劉麌の皇帝擁立での対立などの経緯をみれば
30代にはすでに「信」をおいていないようにみえます。
幼少期の友情の有無の真実は不明ですから、
ひとつの仮説として「親友」として設定した方が
ドラマになり「小説」としては面白いとは思います。
正史記述をなぞると、曹操も袁紹も、
お互いに、今でいう「知人」というレベルで、
とらえていたのではないでしょうか。
↑えーと、まだ残ってますよ・・・・・・・・・・・・・・遠紹
三国志の時代は、戦国時代と同じように弱肉強食の時代です。
最初は袁紹の方がはるかに勢力としては上でしたが、
名家の驕りか、単に時代が読めなかったのか、それか曹操がそのはるか上を行ってたのか、
結局弱い者は負けるのです。
曹操は織田信長的な非情さを持っていたと思うんで、
遠紹が家臣に見放された時点で「だめだこりゃ」って思って、とっとと切ったと思います。
ジュンイク(漢字略)あたりも袁紹側に行って曹操側についた人間なんで、彼らから情報は得てたと思うし、
幼馴染だから彼のお坊ちゃん的優柔不断な性格は見切ってたんじゃないかな。
いつまでもずるずる友情だどうだ思ってたら、天下統一なんかできないですから。
↓今気づいたw訂正しといたよ。
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