2012年3月20日火曜日

三国志の質問です。 渭水の戦いで氷の城を作るように進言したとされる魏の「婁圭...

三国志の質問です。

渭水の戦いで氷の城を作るように進言したとされる魏の「婁圭」(演義では夢梅道士に変わっていますが)ですが、のちに曹操によって処刑されているそうなんですが、その理由を教えてください。

そうとうな変わり者だとは認識しているのですが・・・







婁圭単独の伝は存在しません。『魏書』武帝記に引く『曹瞞伝』『魏略』、崔エン[エン=王+炎]に引く『魏略』、韋昭の『呉書』…此れ等に、僅かな婁圭の記述が有るだけです。

婁圭が如何な失言で処刑されたか…此れには二つの説が有ります。双方共、婁圭の発言が曹操の忌諱に触れた所為だ、とされています。



◇『魏略』の説

曹操が諸子を連れて遊楽に出掛ける際、其れに婁圭も随従しました。其の際、左右の者に向かって婁圭は、「この家(曹家)の父子は、今日の様な楽しみを味わった事が有ったかな」と言います。此の発言を、誰かが曹操に伝えます。曹操は、此の発言に軽蔑の意味が含まれていると思い、婁圭を逮捕して処刑しました。

◇『呉書』の説

婁圭は、南郡の習授と同じ車に乗っていた時、曹操が出掛ける姿を目撃します。習授は、「父子が揃って此の様で有るとは、何と喜ばしい事か」と言います。其れに対して婁圭は、「世間で暮らすなら、自分がそう成れば良いので有って、唯他人を眺めるだけではな」と答えます。此の発言が習授の口から曹操に伝わり、婁圭は誅殺されました。

習授は、曹嵩・曹操(又は曹操と曹操の諸子)父子が共に高位を得た事を誉め称えたのでしょう。其れに対する婁圭の発言は、自身も曹操と同じ高位を望む、と言う野心の様な物が感じられます。此れが曹操の忌諱に触れたのかも知れません。



劉雄鳴(雄鳴は多分字)と言う人物がいます。劉雄鳴は、若い時から薬草の採取と狩獵に明け暮れ乍ら、覆車山の麓に住んでいました。劉雄鳴は、毎日朝から晩まで、家を出て雲霧の中を歩き回っていましたが、道に迷う事が有りません。世間の人は、「劉雄鳴は、雲霧を起こす力を持っている」と噂しました。

劉雄鳴が曹操の許を訪れた際、劉雄鳴の手を執って曹操は、「弧(私)は、丁度潼関に入ろうとした時、一人の神人を得る夢を見た。其れが卿(貴方)だったのか」と言ったそうです。

劉雄鳴は、世間の人に雲霧を起こせられると思われたり、曹操に神人と思われたりと、相当に俗人とは異なる風貌を持っていた様です。羅貫中は、『魏略』が描く仙人めいた劉雄鳴の人物像から着想を得て、『演義』の「婁圭、道号は夢梅居士」を創造したのでは、と思います(私の勝手な空想です)。

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