三国志について
兵力で圧倒的に上回る袁紹が曹操に負けた一番の理由はなんだと思いますか?
1、曹操軍に関羽がいたこと(顔良、文醜といった猛将が斬られた)
2、許攸の裏切り(兵糧庫を失う)
3、田豊の不参加
適当に思いついたのはこのぐらいでしょうかね
他の理由ないし上記から一番の理由を選んでください
2と3ですね。関羽は確かに顔良を斬ると言う功績を上げましたが、袁紹軍全体
で考えれば被害としては軽微です。実際その後も正面からの圧力が強く曹操は
防ぐのがやっと、と言う状態が続いていますからね。
ちなみに袁紹が優柔不断と言うのは違うと思う。むしろ自分に自信があり過ぎ
たことが失敗した一つの理由です。
官渡での袁紹の戦い方は王者の戦いです。大兵力にモノを言わせ、相手を圧倒
して踏みつぶしていく。実際曹操は遥かに劣る兵力で凌ぐことしかできません。
袁紹は自軍にふさわしい戦いを選んだだけであり、優柔不断と言うのとは違う
と思います。
それと昔からの顔なじみでなければもう少し相手のことをきちんと調べ、警戒
したかもしれませんが、そこら辺は甘かった。自分が一番本人のことを知って
いる、と言う自負が袁紹にはあったのではないか。そこで相手を過小評価して
いた部分はあったでしょう。
まぁ読みの甘さは致命的だと思いますが、優柔不断と言うのは少し違うかな、
と思います。王者の軍隊のつもりで失敗は後年曹操も赤壁でやらかしています
しね。
先にお詫びいたします、申し訳ありません。
質問本旨から少し逸れる話ですが・・・。
何人かの方が
「袁紹の決断力の欠如」を挙げていらっしゃいますが、
むしろ彼は
「果敢な決断力」が売りの人物だったのですよ?
例として十常侍掃討の時のこと、
大将軍何進が
「この混乱を収めるため諸侯を呼び寄せる」
という話をした際、袁紹は(当時は確か司隷校尉)
「何故です!そんなことをすれば諸侯につけこまれ、
新たな災いを呼ぶだけ。大将軍であるあなた自身が
自分の配下に十常侍掃討を命じればよいだけではありませんか?」
と、むしろ優柔不断な何進を咎めてさえいます。
いくら、
「四世三公の名門の出」
といってもその看板のみでは人はついてきません。
領袖たるにふさわしいものがあったからこそ、
あれだけの大勢力の統領となっていたのです。
「最後の大一番で敗れた」
ことで、後付けで
「優柔不断」といわれてしまったのではないでしょうか?
もし、彼が勝者だったら、その部分は
「事にあたって慎重」
なんていう評価だったのでは?
質問本旨に関係ない話、
改めてお詫びいたします。
失礼いたします。
<追記>
肝心の質問に答えていませんでした。
私もkumayamaoさまとほぼ同じ理由で
2・3を挙げます。
私は上記の1・2・3の理由もそうかもしれませんが、
1番の理由は優柔不断さなのではないでしょうか?
何をするにも決断力がなく人の話を聞かなかったので、
2や3の状況が出来たのだとおもいます・・・。
そして何よりも曹操は袁紹の事をよく知っていたので、
そういう事も含めて戦を仕掛けたのではないでしょうか・・・?
と、もうそういった回答がありましたね;;
2番煎じですいませんでした。
3ですかね
確実とはいえませんが、田豊がいれば2・3を防げた可能性がありますので
もうひとつは袁紹の優柔不断なところとかも・・・曹操が徐州に侵攻したときに背後を突けば勝てた可能性もあったのにです・・・まあ曹操もその袁紹の性格を知っていたから徐州へ侵攻したらしいですが
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