三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?
曹操が嫌いだから悪役に仕立てたとも考えられますし、孫権が嫌いだから脇役で冷遇したとも考えられるのですよ。皆さんは、どのように思いますか?
三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?
曹操じゃないでしょうか。
孫権
しかし、後継者としていた孫登が241年に33歳で早世してから、徐々にその治世には陰りが見え始めた。側近で佞臣とされる呂壱を重用する一方で、後継者問題で太子を擁護した名将陸遜を憤死させたり、王表という神を信じて福を求めたりするなど老害が目立った。
後継者問題では、太子に指名した孫和とその同母弟孫覇の両人をほぼ同等に処遇したため、廃太子を防ごうとする孫和派と立太子を期待する孫覇派の対立を招いた。孫権が決断を欠いたため、対立は泥沼化し、国力を衰退させた。この問題は、250年、両者を排して七男の孫亮を太子に立てることで決着したが、10年に渡る対立は家臣団に大きな亀裂を残した。
正史三国志の著者の陳寿は、呉主伝の中で「身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり 人の傑なり(屈身忍辱,任才尚計,有勾踐之奇,英人之傑矣)」と褒める一方、「然れども性は嫌忌多く、殺戮に果なり(然性多嫌忌,果於殺戮。性格は人を忌み嫌うことが多く、刑罰によって人を殺すのに果敢であった)」と批判した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%A8%A9
このあたり(欠点に関しての)の記述(描写)は一切ありませんので、曹操よりは孫権を優遇?しているように感じます。
曹操や孫権が嫌いだったというよりも、劉備を持ち上げるために、曹操を悪役にして、孫権を脇役にしただけだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿