三国志の質問です。196年、許昌の曹操が献帝を手中にしたとき、献帝は曹操を大将軍に任じ、遠紹を3公の一つの大尉に任じようとしたそうですが、
大将軍の方が位が高いのですか?
また、200年、曹操が劉備を討ちに行ったとき、病気の息子が心配で曹操の留守を衝けなかった遠紹が気にかけていたのは、3男のことだったのですか?
大将軍は三公の上位とされています。
漢王朝、特に後漢において外戚が大将軍に任じられて権力を振るいました。
三公は有名士人の任じられる実権のない地位となっていました。
曹操の父曹嵩は一時期大尉に任官しています。
献帝のもとで曹操が大将軍に任じられたということは朝廷の実権を握ったことです。
袁紹が大尉任官を辞退したのは当然でしょう。
曹操が大将軍の地位を袁紹に譲ったということはその頃の曹操と袁紹の実力の違いを表しています。
袁紹は劉虞を推戴しようとしたこともあるにもかかわらずこれほどの処遇をしなければならないのはよほど困窮していたのでしょう。
原文は『嬰児之病』となっています。名の知れている子ではないでしょう。
本来、三公は群臣の頂点で最上の位。
そして、大将軍は三公に準ずる特別職です。
本来、位としては同等程度なのですが、大将軍は臨時職で特別視されていたこと、歴代、政治的な大物が歴任していたこともあり、「なんとなく」三公より格上のように感じられたのです。
なお、袁紹が気にしていた病の子供は明記されていませんが袁尚までの子供ではないようですので、袁買かそれ以外の子供ではないかと考えられます。
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