「三国志」の「趙雲子龍」について、「曹操」が彼を評価したものはないでしょうか?
「曹操」は敵味方問わず、人の才を見抜く才能がある人物なので、
何か「趙雲子龍」について残っていないかと、興味津々ですが、
検索の仕方が悪くて2000件以上、上がってきて、見つけることができません。
「正史」でも「演義」でも嬉しいです。
「三国志」ファンの方、よろしくお願い致します。
長坂坡の戦いの他、劉備が蜀を取った後に漢中を攻めた時に
曹操と趙雲が対陣しています。趙雲が空城の計で魏軍を破り
ましたが、確かその前後に曹操が趙雲を評していたように
思います。劉備は「満身肝である」と評していましたね。
今は手元に吉川三国志しかありませんが、
「あれは常山の趙子龍だ。(相手にならないので)軽々しく
前に立つな」
という曹操のセリフがありました。
漫画の蒼天航路でも同じ漢中戦の描写で
「なんとうるさくよく働くやつだ」
というようなセリフがあったように思います。
正史では趙雲の評価は低いので、演義ベースの作品にそういう
場面が多いでしょうね。
まず、趙雲子龍と検索したのでは、出てこないのは当然。
姓+名か姓+字という形が常識的な人名の表しかた。
姓+名+字と続けることは非常識。
小説などでそのように出てくるのは本当はおかしいのである。
正史『三國志』の中で趙雲を検索しても曹操との関連性を示すような
ものは検索されないため、たぶん曹操が趙雲を評価したという
エピソードはないのだろう。
ちなみに曹操を検索したい時には曹操もしくは曹孟徳が標準的なのだが、
正史の中においては本名があらわれることはまれである。
魏書のなかでは太祖と表現される。注の中では魏武(魏の武帝)
蜀書のなかでは曹公と表現される。
このようなことも念頭に入れて検索するべきです。
趙雲は正史の中では簡単にしか触れられていない人物であるため、
有能な武将という演義でのイメージはオーバーなものなのでしょう。
仮に有能であれば公孫サンのところから劉備のところへ移った間に
曹操にスカウトされているでしょう。
趙雲が将軍として活躍しだしたのは曹操死後の諸葛亮の政権時代ですから、
曹操がチェックしていなかった人物だったのでしょう。
そもそも、趙雲が演義の中で活躍するのは作者の羅貫中が同郷の趙雲びいき
だったからとも言われています。
所詮人材不足の劉備陣営の将軍クラスの人物です。
趙雲程度の武将は曹操の陣営には余るほどいたのです。
演義でよければ、長坂波の戦いで趙雲を生け捕りにしようとしたときにほめていたと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿