三国志
私は李典が大好きなのですが、諸葛亮は李典の事評価していましたか?
李典が諸葛亮の罠を見破った事で。
曹操は李典の事高い評価を付けてたのでしょうか?
博望の戦いは、諸葛亮が始めて兵法を使った戦いと言われてます。
夏侯惇は案の上策略に引っ掛かりましたが、李典はそれを見破りました。
諸葛亮が、その李典を評価したという記述はありませんが、
机上で考えた策が、その通り実戦で通用しないってことをこの戦いで知ったでしょうから、李典の名前は十分覚えたのではないでしょうか。
曹操も、若い頃学問が好きで「春秋左氏伝」を読み、軍事を好まなかった李典を好ましく思って人民統治に抜擢しましたし、
袁紹討伐後には碑将軍(のぎへんに卑ですね。)。
壺関、長広戦の戦功に対して捕虜将軍に昇進、都亭侯に取り立てられました。
また同族配下3000余家を自発的に魏郡に移住させたことを、曹操はそれを嘉し、破虜将軍に昇進させています。
合肥にて張遼とともに孫権を打ち破ったので、百戸を加増され、三百戸になっています。
正史の記載とおり、大変評価が高かったんではないでしょうか。
ちなみに、儒教の教養を尊び、諸将との功績争いもしなかった謙虚な態度は、軍中で彼の長者ぶりを讃えたとのことなので、
仲間からも尊敬される人物だったんでしょうね。
また、36歳で亡くなったあと、文帝は後継の李禎に、父親の合肥の活躍を讃えて加増してますし、
李典の一子に関内侯、領邑を賜り、李典には愍侯の諡名を送ってますので、
魏王朝でも評価も高かったと思います。
孔明が李典を評価したかどうかわかりませんが,曹操から捕虜将軍に任命され都亭侯に取り立てらています。
あの曹操軍においてこのような地位を得ているわけですから,曹操からは高い評価を得ていたんじゃないでしょうか。
李典は私も好きです。
階級は破虜将軍で、呉の孫堅と同じ階級なので、
曹操の評価は高かったのでは無いでしょうか。
36歳で死ななければ、もっと出世していたと思います。
孔明の評価はわかりませんが・・・。
参考サイト
http://www8.plala.or.jp/t-ikki/kaikyuu.html
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