三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?
曹操が嫌いだから悪役に仕立てたとも考えられますし、孫権が嫌いだから脇役で冷遇したとも考えられるのですよ。
皆さんは、どのように思いますか?
小説「三国演義」は、明代に小説化されましたが、もともとは宋代の講談が元になっています。宋の南遷後、在りし日の東京・開封の栄華をしのんだ「東京夢華録」と言う本に、「講談の”説三分”を聞くと、子どもたちは曹操が勝つと涙を流して悔しがり、劉備が勝つと手を叩いて喜んだ」とあります。
つまり北宋時代から、一応の成功者たる曹操は悪役であり、孤軍奮闘していた劉備陣営はヒーローだったわけです。別に、羅貫中が勝手に役柄を設定したわけではありませんよ。「判官びいき」は変わらない、という奴ですね。
曹操在世時から、「成功者」だった曹操は妬まれ、「曹瞞伝」をはじめとする曹操の悪口を連ねた書物が多数存在していました。
これまでの通例に従って曹操を悪役にしましたが、曹操にはそんな作家の思惑を超えた魅力があり、完全に悪役に仕切れず、文章からにじみ出る「人間的魅力」を隠し切れませんでした。
逆に江東の孫一族は「ド田舎の地方豪族」として、さほど世間の相手にはされていませんでした。
中原ではほとんど地方の蛮族扱い、社交界の話題にもなっていませんでした。この当時の中級官僚程度の人に「呉の孫権って、どう思う?」ともし聞いたら、一様に「誰、それ?」といわれたことでしょう。
ただ、数代に渡って足場を固めた結果、記録類が整備されていて、そのため「正史」にも、劉備陣営より詳しく記録が残ったのでした。
そういう意味で、「好きでも、嫌いでもない」ということです。中国文学者・守屋洋は「孫権は三国志の脇役」、小説家の北方謙三も「呉は天下に興味のない、保守的で魅力のない国」とはっきりいっています。
本国でも関心あるひとは地元の人くらいで、「孫呉」がこれほどクローズ・アップされているのはおそらく、日本だけの特殊事情といえそうです。
曹操が悪役なのは、魏が皇帝の座を奪い取っておきながら
中華統一できなかったから、逆賊扱いになったわけで、
呉(孫権)に関しては、家督争い以外で盛り上がるストーリーが
無いからじゃないですか
三国志演技を含め、水滸伝・楊家将演技等の演技ものは、「元」の時代に形成されました。これは、モンゴル人が支配する「元」王朝の身分制度、モンゴル人(第一身分)色目人(第二身分)旧「金」国人(第三身分)旧「南宋」国人(第四身分)によって、本来中国の正当な支配者である「南宋」の国民であるにもかかわらず虐げられて居る国民意識の高揚の表現でもあったのです。
では、なぜ三国志演技で曹操が悪役になったか?曹操は本来、「後漢」の家臣であるにもかかわらず、その「後漢」を乗っ取る寸前(乗っ取ったのは曹丕)まで追い込んだやつ=モンゴルのような異民族にみたてて演じているからです。表立ってモンゴル人の悪口を言えないので、モンゴル人と曹操に見立てているからです。
劉備の建てた国が「蜀漢」ともよばれ、正当な漢王朝の後継者=自分たち旧南宋人、呉は・・・別にあってもなくても良いからほっとかれてます。
そのせいか、無理やり曹操を悪人にしてるので、三国志を読めば読むほど・・・劉備の方が悪党に思えてくるのはボクだけではないと思います。
劉備が好きだったのでしょう。
だから、最も強大な曹操を悪役にし、次に強力であった孫権を脇役にしたのです。
もちろん劉備が好きで、その劉備の善人さを強調するために、曹操を必要以上に悪人にしている部分もあります。
いずれにしても、劉備が好きだったということになるでしょう。