2012年3月29日木曜日

三国志大戦3の皆さんの魏のデッキを教えてください。スキルもかなり左右されますが...

三国志大戦3の皆さんの魏のデッキを教えてください。スキルもかなり左右されますが、敢えてデッキのみで今回はお願いします。
私は曹操、UC楽進、ヨウコ、ホウ徳、カクです。







SR張遼、Rホウ徳、UC曹仁、UC楽進、Rカクです。俗に「純正神速」と呼ばれているデッキですね。

粘り手腕や挑発入りには苦戦を強いられますが、現ver.では十分闘えますよ。








SR曹操 UC夏候淳 R郭嘉 C郭皇后 UC楽進 軍師は司馬懿



離間は理屈では強いのはわかってるんだけど士気6だから狙いすぎていつも遅れるから使ってないですね・・・

三国志大戦3・5に関する質問です。騎馬単神速の場合、挑発が入っている相手に対...

三国志大戦3・5に関する質問です。騎馬単神速の場合、挑発が入っている相手に対してどう対処すればいいんでしょうか?編成は張遼、曹操(求心)トウガイ、楽進。軍師、郭か、ジュンユウです。お願いします。







止まりましょう。

間違って刺さったなら離れずそのまま連突。正直神速は忘れて覇者求一本で戦うべき。

範囲外から止まり、オーラ出る直前で止まり、相手の槍激が当たったらそいつは乱戦して他で連突。

馬稷とかならビタ止め無視して1部隊突っ込ませても。

ビタ止めのときに全部隊止めない。片手で2枚ずつ動かして、2部隊止めて、2部隊は止めた部隊の少し後ろでオーラを維持。これが一番ウザイ。間違っても全員範囲に入ったりしないように。








挑発射程範囲前から止まる。ちょっと進んでまた止まる。



張飛の場合は曹操だったら止まっていれば刺さる前に挑発が切れます。



馬謖など高知力の場合は求心で迎撃ダメを減らしつつ槍をすり潰す。



1コストには楽進よりカクか劉曄、郭皇后推奨。妨害がないのはいざというとき辛いです。



伏兵が3部隊の場合1部隊は城内発進、張遼も城内でも可。



神速にこだわらずに求心(あれば妨害)も絡めて上手く判断して戦えば良いと思います。



軍師は保険の再起と神速が使える張春華がいいと思います。







誰が挑発するのかにもよるが、求心使って武力差ですり潰せばよかろうに



求心は飾りなのか?







ただの槍なら神速号令を使用する前はビタ止めでなんとでもなる



挑発がいるなら敢えて楽進とトウガイを先に突っ込ませ壁にして

曹操と張遼で連突

固まらなければ1~2部隊の挑発になりやすい為

なるべく分散し連突

三国志(演義)のなかで、1番優れた軍師は誰だと思いますか・・・?

三国志(演義)のなかで、1番優れた軍師は誰だと思いますか・・・?

私は孔明はそれほど優れた軍師に感じないのですが・・・



まだ仲達など曹操の軍師のほうが全体に優れてませんか?







史実だと、孔明は政治家としては有能だが、軍略家としては少し無能に書かれていたかと…

(まぁ史実は晋よりの歴史書物ですし)



私自身も(演義)では司馬イ が優れていると思いますよ、

都に上り正式な勅命を受けるよりも孟達の反乱を討った事も

孔明の挑発にも乗らず、持久戦に持ち込んだ事もありますし。








演義と断定しているようですから諸葛孔明で決まりでしょう。

正直演義では孔明を抜いたらみんなどんぐりの背比べです。

天才軍師孔明はもう別格でしょう。







演義で言えばやはり諸葛亮が一番でしょう。



政戦両略に通じ、神の如き作戦立案能力、風を起こし、火を操り、火器搭載の戦車を発明ともうやりたい放題です。



なので、こういうネタの時は正史なのか演義なのかどちらかに絞った方が良いと思いますw





史実の諸葛亮は既に回答されている方が居られますが、政治家向きの人材だったようです。

ただし、軍事方面は戦略眼はTOPクラスで、ただし戦場全体の作戦立案能力が中の上、一個の部隊を指揮する能力は並といったところが現実だったようです。



実際の戦争だと直に将兵と触れて初めてわかる戦闘の呼吸みたいなものがありますから、書生上がりで実務経験の乏しい孔明には実戦は苦手だったかもしれません。



劉備が曹操を翻弄した漢中攻略戦は法正の活躍が大きかった事ですし、法正没後の蜀の軍事作戦が平凡(勝ったり負けたり)な戦果だったのも諸葛亮がそれほど作戦立案能力に長けていなかった事の証明かもしれません。





そもそも軍師と言う役割が多岐に渡るので単純な比較は難しいでしょうね、賈詡のように謀略で君主をサポートするタイプも居れば、孔明のように天下三分と言う戦略でサポートするタイプ、荀攸のように戦場で力を発揮するタイプそれぞれです。



私個人的なランキングでは





戦略立案(諸葛亮)



言わずと知れた三国時代の立役者(デザイナー)、中華を三分して呉と共闘して魏に対抗すると言う基本構想は誠に理にかなっている、また皇帝の一族を称する劉備を漢の高祖になぞらえ漢中王にするなどグローバルな視点はさすが。





謀略(賈詡)



南陽での曹操撃破や馬超・韓遂離間など、正攻法ではない人の心の弱さを攻める策なら一番か。





戦術(荀攸)



下邳城の水攻め、官渡キャンペーンでの顔良戦、文醜戦、鳥巣急襲、袁家残党掃討戦と曹操の前半戦ほとんどの作戦立案に関与、彼の勝利に貢献。





シバイは非常に優秀だと思うけど個々の能力はそれぞれのトップレベルにちょっと足りない感じ、トータルバランスで勝負ってところでしょうか。







国の大局を見通して、中・長期ビジョンを提示し、政治・軍事・外交

すべてに精通して、他の家臣からの尊敬も集めている点ではやはり

孔明に勝る人はいないのではないでしょうか。赤壁の前、劉備が追い

詰められたとき、放浪の武将の名もなき一軍師でありながら、単身呉

に乗り込み、なみいる呉の群臣を論破して、孫権に決戦を決心させた

才能と行動力を、私は特に評価しています。北伐は失敗しましたが、

人口比で魏の1/5といわれる蜀が、経済力も人材も豊富な大国魏

を倒すことはもともと不可能に近かったといえます。

仲達も結局、孔明の才能をおそれていたからこそ、倍する兵力を持ち

ながら、打って出ずに、蜀の疲弊を待っていたと考えられます。

魏でいえば、曹操に適時適切な助言をしてその創業を助けた荀彧が

一番ではないでしょうか。彼が袁紹を見限ってやってきたとき、曹操は

小躍りして喜び、「我が子房(漢の高祖劉邦の軍師)がきた」と叫ん

だといわれます。なにか問題が起きると、曹操はかならず彼を呼び、

意見を求めたいいます。遠征中、呂布に本拠を攻められたときには、

荀彧が守る城だけは侵攻を許さずに保ち、、曹操軍の崩壊を防ぎ

ました。袁紹との官渡の戦いで曹操が劣勢にたたされて撤退を考えた

ときには、袁紹軍が兵糧の工面に困っていることをあげて諌めています。

さらに、曹操の初期の軍師戯志才や、自分の甥の荀攸、郭嘉など、

曹操を支えるブレーンを多く推挙して、曹操軍の参謀を整えました。

また、呉でいうなら、疑いなく周瑜です。三国志演義では孔明に翻

弄されているように描かれていますが、実際は孔明もみとめる英傑で

あり、生前、孫権に蜀の併合を進言して、遠征に向かう直前に病死

したようです。

三国志大戦3で 全突デッキか覇者求デッキの対策法を教えてください。(できれば2つ...

三国志大戦3で

全突デッキか覇者求デッキの対策法を教えてください。(できれば2つとも教えてほしいです)

検索用

蜀 曹操 馬超 郡有 魏 呉 漢







デッキがわからないと答えられることがほとんどないです。



全突に関してはUC法正やR魏延(極意)を中心としたデッキなら、よほど下手な戦いをしない限り勝ち確定ですし、逆に槍兵が全くいないと負け濃厚になりますからね。





対策を強いて挙げるなら号令発動前に敵の頭数を減らすこと…これで号令の破壊力を抑えることが出来ます。

あとは槍兵は乱戦は極力避けること。突撃を防ぐためにも常に槍オーラを出し続けるのが理想。

騎兵主体のデッキなら攻城被害も少ないので、時には守りを捨ててカウンターに賭ける、という判断も必要。(号令切れるまで自城に避難、ただし城門はローテーションで守る)



こんなところですかね。










全突は車輪か長槍で対処出来るでしょう。

覇者求は雲散や反計、麻痺矢、あえて城内に篭って効果切れを待つ、鉄鎖連環(兵軍連環)を引くとか封印するとか色々あります。大喝で止めて突撃しまくるとか相手が壁に引っ付いた所で神速号令で殲滅するとか。







号令を打って城内してたら守れます

正史三国志は曹操が主役で、三国志演義は劉備が主役ですが 曹操と劉備の両方が脇役...

正史三国志は曹操が主役で、三国志演義は劉備が主役ですが

曹操と劉備の両方が脇役(第三者が主役)の三国志書物はありますか?







曹操と劉備ときたら、孫堅、孫策、孫権ということで・・・。



●呉三国志長江燃ゆ(伴野朗)集英社文庫全10巻

今一地味な(呉ファンの皆様ゴメンナサイ。)

呉を主人公としたことには拍手を送りたいですが、

10巻の途中まで孫権が生きています。

孫権死後をもう少し書いてもらえてたら満点だったですけどね。








たくさんあるじゃないですか







厳密には、正史三国志は歴史書ですので、曹操が主役という訳でもないんですがね。



その考えに従うなら、正史の「晋書」は宣帝司馬懿が主役とも言えます。



他、小説や漫画などでは、関羽や諸葛亮が主役のものも探せばあると思いますよ。







『秘本三国志』…陳舜臣(仏教と道教という視点からの作品)

三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?

三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?

曹操が嫌いだから悪役に仕立てたとも考えられますし、孫権が嫌いだから脇役で冷遇したとも考えられるのですよ。

皆さんは、どのように思いますか?







小説「三国演義」は、明代に小説化されましたが、もともとは宋代の講談が元になっています。宋の南遷後、在りし日の東京・開封の栄華をしのんだ「東京夢華録」と言う本に、「講談の”説三分”を聞くと、子どもたちは曹操が勝つと涙を流して悔しがり、劉備が勝つと手を叩いて喜んだ」とあります。



つまり北宋時代から、一応の成功者たる曹操は悪役であり、孤軍奮闘していた劉備陣営はヒーローだったわけです。別に、羅貫中が勝手に役柄を設定したわけではありませんよ。「判官びいき」は変わらない、という奴ですね。

曹操在世時から、「成功者」だった曹操は妬まれ、「曹瞞伝」をはじめとする曹操の悪口を連ねた書物が多数存在していました。

これまでの通例に従って曹操を悪役にしましたが、曹操にはそんな作家の思惑を超えた魅力があり、完全に悪役に仕切れず、文章からにじみ出る「人間的魅力」を隠し切れませんでした。



逆に江東の孫一族は「ド田舎の地方豪族」として、さほど世間の相手にはされていませんでした。

中原ではほとんど地方の蛮族扱い、社交界の話題にもなっていませんでした。この当時の中級官僚程度の人に「呉の孫権って、どう思う?」ともし聞いたら、一様に「誰、それ?」といわれたことでしょう。

ただ、数代に渡って足場を固めた結果、記録類が整備されていて、そのため「正史」にも、劉備陣営より詳しく記録が残ったのでした。



そういう意味で、「好きでも、嫌いでもない」ということです。中国文学者・守屋洋は「孫権は三国志の脇役」、小説家の北方謙三も「呉は天下に興味のない、保守的で魅力のない国」とはっきりいっています。

本国でも関心あるひとは地元の人くらいで、「孫呉」がこれほどクローズ・アップされているのはおそらく、日本だけの特殊事情といえそうです。








曹操が悪役なのは、魏が皇帝の座を奪い取っておきながら

中華統一できなかったから、逆賊扱いになったわけで、

呉(孫権)に関しては、家督争い以外で盛り上がるストーリーが

無いからじゃないですか







三国志演技を含め、水滸伝・楊家将演技等の演技ものは、「元」の時代に形成されました。これは、モンゴル人が支配する「元」王朝の身分制度、モンゴル人(第一身分)色目人(第二身分)旧「金」国人(第三身分)旧「南宋」国人(第四身分)によって、本来中国の正当な支配者である「南宋」の国民であるにもかかわらず虐げられて居る国民意識の高揚の表現でもあったのです。



では、なぜ三国志演技で曹操が悪役になったか?曹操は本来、「後漢」の家臣であるにもかかわらず、その「後漢」を乗っ取る寸前(乗っ取ったのは曹丕)まで追い込んだやつ=モンゴルのような異民族にみたてて演じているからです。表立ってモンゴル人の悪口を言えないので、モンゴル人と曹操に見立てているからです。



劉備の建てた国が「蜀漢」ともよばれ、正当な漢王朝の後継者=自分たち旧南宋人、呉は・・・別にあってもなくても良いからほっとかれてます。



そのせいか、無理やり曹操を悪人にしてるので、三国志を読めば読むほど・・・劉備の方が悪党に思えてくるのはボクだけではないと思います。







劉備が好きだったのでしょう。

だから、最も強大な曹操を悪役にし、次に強力であった孫権を脇役にしたのです。

もちろん劉備が好きで、その劉備の善人さを強調するために、曹操を必要以上に悪人にしている部分もあります。

いずれにしても、劉備が好きだったということになるでしょう。

三国志で史実でも演義でも孔明や郭嘉よりも劉備の方がよっぽど打算的で頭が回るよ...

三国志で史実でも演義でも孔明や郭嘉よりも劉備の方がよっぽど打算的で頭が回るように思うのですがどうでしょうか?

公孫サンを見限り、陶謙に取り入り、呂布に許しを乞い、曹操に泣きつき呂布を討たせ、董承の暗殺計画に乗って曹操の命を狙い、ばれる直前に董承を見捨てて逃げ出し、徐州で独立を果たすも、曹操の怒涛の襲来の知らせに家族と部下を捨てて逃亡、袁紹のもとに身をよせ、袁紹を曹操にけしかける。







仰るとおりだと思いますが・・・

郭嘉や諸葛亮より頭が回るというのは違うような気がします。

劉備は本能的にどう動くべきか?という感覚に優れていたとは思いますが、郭嘉や諸葛亮のような戦略家ではないでしょう。

劉備に関わった群雄は確かに末路は悲惨な場合が多いですが、彼が能動的にやったわけではないので彼を責めるのはちょっと酷な様な気がします。








・公孫瓚を見限り…見ようによってはそううつるかもしれませんが,劉備が公孫瓚から離れた頃は,公孫瓚の勢いはもっとも最盛期の頃だし,また,平原から離れたのも陶謙からの救援要請に応えたからであって見限るというのは…

・陶謙に取り入り…曹操に攻められた陶謙を救うためだし…

・呂布に許しを請い…袁術と対陣中に部下の裏切りにあった劉備が,徐州を占領した呂布を頼っただけで打算といえるかどうか…

・曹操に泣きつき…というよりも,曹操が呂布が邪魔だから劉備をおとりに戦争を仕掛けるための道具に利用したぽいし…

・董承の暗殺計画…考えようによってはですが,許昌にいては曹操の監視がきついため一時許昌をはなれ実力を養うためにとも考えられるし…

・曹操の怒涛の襲来…袁紹を曹操にけしかけるはどうかな?あの時勢だと,曹操と袁紹の間で合戦が起きるのは間違いない状況だったわけだから,劉備の一言で袁紹が動くかな?また,袁紹って劉備をあまり認めていなさそうだったし…



旗揚げ初期から自分の領地も少なくほぼ流浪軍に近かったから打算的というよりも鼻がきくというか,危機管理おいての我が身を守るために何をすべきかを実行していく必要があったからね。だから,これだけで打算的で頭が回るというには思えないけどね。よっぽど,曹操の方が打算的で頭が回ってるよ。別に劉備の行動をかばう気はないけどね^^

どうしても打算的というなら,赤壁後に劉表の長男劉琦を荊州刺史に仕立てて荊州南部併合とか,劉璋の要請で蜀に入り,結局蜀を平定したという方が打算的だね。