三国志☆知ってる方多いと思います。
『チョウセン』(女)(漢字が分かりませんが)って、実際は、存在しなかったんですか??
分かる方は教えて下さい(-.-)y-~~~
三国志演義にのみ登場する架空の人物とされます。
貂蝉(ちょうせん)は、三国志演義に登場する絶世の美女です。
その美貌は春秋の西施・前漢の王昭君・唐の楊貴妃と並び称され、
「中国四大美女」といわれます。
ただし、これは「演義」でのみ登場する架空の人物で、
正史に呂布が「董卓の侍女」と密通したという記述があり、
貂蝉のモデルとされます。
貂蝉のパトロン「王允」が、「美女連環の計」とは、
貂蝉、董卓、呂布の三角関係(輪を連ねて)を作って、
董卓と呂布を仲たがいにさせようとした「美女連環の計」に登場します。
貂蝉は呂布の死後、曹操に捕らえられ、許都へ送られます。
当時曹操と劉備は昵懇の間柄だったため、
行動を共にする関羽は、
呂布の妻であった貂蝉を何度となく娶りたいと曹操に申し出ました。
一旦は、曹操はそれを許して貂蝉は関羽の妻になったとの説があります。
(清廉潔白な関羽には似つかわしくない説ですね。)
また、何度も曹操に申し出たので、
気になった曹操が貂蝉を見てみると美人であったので、曹操が関羽に渡さず、
自分の手元に置いたという説もあります。
(人妻好きな曹操らしいエピソードですね。)
実は華佗(三国時代の名医)が、
首を西施(四大美女の一人BC460頃の呉の美女)のものと取替え、
肝を荊軻(始皇帝暗殺未遂の刺客BC220頃)のものと、
取り替えたというフランケンシュタイン的な話もあります。
それ以外にも、董卓が呂布に殺された後、
自ら命を絶つと言った話もあり、様々な人生を作られた女性です。
三国志演義のオープニングを飾る、大輪の棘の刺を持つ花が「貂蝉」です。
少なくとも実在していたことを証明するものは何もありません。
演義の中だけの存在です。
「美人の計」に使えるような若くて美しい女性はたくさんいるでしょうから、その中の一人がそうだったかもしれませんし、全くの作り話であったかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿