三国志で史実でも演義でも孔明や郭嘉よりも劉備の方がよっぽど打算的で頭が回るように思うのですがどうでしょうか?
公孫サンを見限り、陶謙に取り入り、呂布に許しを乞い、曹操に泣きつき呂布を討たせ、董承の暗殺計画に乗って曹操の命を狙い、ばれる直前に董承を見捨てて逃げ出し、徐州で独立を果たすも、曹操の怒涛の襲来の知らせに家族と部下を捨てて逃亡、袁紹のもとに身をよせ、袁紹を曹操にけしかける。
仰るとおりだと思いますが・・・
郭嘉や諸葛亮より頭が回るというのは違うような気がします。
劉備は本能的にどう動くべきか?という感覚に優れていたとは思いますが、郭嘉や諸葛亮のような戦略家ではないでしょう。
劉備に関わった群雄は確かに末路は悲惨な場合が多いですが、彼が能動的にやったわけではないので彼を責めるのはちょっと酷な様な気がします。
・公孫瓚を見限り…見ようによってはそううつるかもしれませんが,劉備が公孫瓚から離れた頃は,公孫瓚の勢いはもっとも最盛期の頃だし,また,平原から離れたのも陶謙からの救援要請に応えたからであって見限るというのは…
・陶謙に取り入り…曹操に攻められた陶謙を救うためだし…
・呂布に許しを請い…袁術と対陣中に部下の裏切りにあった劉備が,徐州を占領した呂布を頼っただけで打算といえるかどうか…
・曹操に泣きつき…というよりも,曹操が呂布が邪魔だから劉備をおとりに戦争を仕掛けるための道具に利用したぽいし…
・董承の暗殺計画…考えようによってはですが,許昌にいては曹操の監視がきついため一時許昌をはなれ実力を養うためにとも考えられるし…
・曹操の怒涛の襲来…袁紹を曹操にけしかけるはどうかな?あの時勢だと,曹操と袁紹の間で合戦が起きるのは間違いない状況だったわけだから,劉備の一言で袁紹が動くかな?また,袁紹って劉備をあまり認めていなさそうだったし…
旗揚げ初期から自分の領地も少なくほぼ流浪軍に近かったから打算的というよりも鼻がきくというか,危機管理おいての我が身を守るために何をすべきかを実行していく必要があったからね。だから,これだけで打算的で頭が回るというには思えないけどね。よっぽど,曹操の方が打算的で頭が回ってるよ。別に劉備の行動をかばう気はないけどね^^
どうしても打算的というなら,赤壁後に劉表の長男劉琦を荊州刺史に仕立てて荊州南部併合とか,劉璋の要請で蜀に入り,結局蜀を平定したという方が打算的だね。
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