2012年3月29日木曜日

三国志の質問

三国志の質問

三国志の質問。(演義目線で)

1 曹操が劉表と戦ったことはありますよね。その戦いの詳細を教えてください



何年

曹操軍大将 劉表軍大将

(仮)曹仁 (仮)劉表

兵力(仮)三万 兵力(仮)10万

参戦武将 参戦武将

仮 李典 仮 蒯越

仮 夏侯淵 仮 加藤茶

仮 程昱

勝利 劉表軍 戦のながれ

また曹操と劉表の通算成績も教えてもらえればうれしいです







演義で曹操と劉表は一度戦っています。



第十七回~第十八回

建安3年(198)



曹操軍(不明※少なくとも5万以上)

大将:曹操

従軍:郭嘉、曹洪、許褚、呂虔、于禁、李通



劉表軍(不明※少なくとも一万以上)

大将:劉表

従軍:蒯良



張繍、賈詡、雷叙、張先



経過

まず曹操が袁術討伐に出てる隙に張繍が劉表の支援で南陽郡に侵攻、守将の曹洪を追い出して宛を再占領します。袁術討伐を終えた曹操はすぐさま宛へ遠征し劉表が救援に来る前に張繍を叩こうとします。ですが張繍の軍師賈詡は敵が勝負を急ぐだろうと見抜き、空城の計を用いて曹操軍5万人を討ち取る大勝を得ます。さらに劉表の救援軍も到着し、ここで初めて劉表と曹操が対峙します。

ところが曹操の元に河北の袁紹が許都攻略を計画してるとの急報が入り、曹操はとうとうろくな戦果を上げずに撤退を決断します。撤退する曹操軍を劉表と張繍が追撃するも殿軍の奮戦により撃退されます。これに萎縮した劉表・張繍はここらが潮時と言いだすも、賈詡が説得し再び追撃。二度も追撃してくるとは思わなかった曹操軍は不意を衝かれて大敗します。あわや壊滅という所で汝南の豪族李通が私兵を率いて来援した為、どうにか逃げ切ることには成功しました。



結果

両軍共に大きな被害を出しており痛み分けといえます。ですが大軍を率いて遠征したにもかかわらず何の戦果も得られず、また劉表軍は追撃時の一敗のみに対し、曹操は緒戦と撤退戦の二敗と負け越しているので、劉表&張繍連合の辛勝だと思います。








曹操と劉表が直接戦った事はありません。

208年に曹操が荊州を攻めた際は、7月に曹操が南下の号令を下し、その月のうちに劉表が死去して次男の劉ソウ[王宗]が後を継ぎ、そのまま戦わずに恭順の意を示したので戦闘に至っていません。



劉表は基本的に専守防衛を旨としていて、積極的に戦闘行動に及んでいたのは劉焉・劉璋親子に対してだけです。

対曹操は、張繍を支援して代理戦争的な状態にならなりました。同様に黄祖を支援して孫呉とも戦わせています。



交州方面では呉巨を蒼梧郡太守に任じてその支援をするのみで、呉巨は交州の士燮や孫権と争っています。

呉巨は劉表が死去して荊州が曹操や孫権の手に渡っても、しばらくは独自の勢力を保持していましたが、結局は孫権配下の呂岱に滅ぼされています。



【追記】

おっと、演義目線で…とあるのを見落として、うっかり正史目線で回答してしまいました(笑)。

geregere998さんが詳細に回答して下さってますね。BAにふさわしいご回答だと思います。

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