△三国志-本当の華佗さんが知りたい
----
最近、気になってしょうがない人がいます。
それは、華佗(かだ、? - 208年)です。
<華佗>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E4%BD%97
『三国志演義』の華佗さんは瞬間移動したり、
(瞬間移動すればいいのに)逃亡の際、羊に化けてかく乱したりしますよね。
このあたりは、演義なのでよいのですが、問題は、『三國志』です。
『三國志』では、軍の役人の18年後の病状を言い当てたり、
荀彧を遠めで見ただけで、その顔色から病名を言い当てたり、
現代医学を凌駕している気がします。
私の認識では、『三國志』=事実だと思っているのですが、
事実だとすると、華佗さんは神の使いかと思えてしまいます。
それに、華佗さんの医術がそれ以降の弟子達に伝承されていないことも気になります。
この認識自体に誤りがあるのでしょうか。
そのあたりに詳しい方、ご教示お願い致します。
正史の魏書の華佗の記載が、方技伝第二十九の筆頭にあり、かなりのページ数も割いていることからも、
この時代を代表するスーパードクターだったことは間違いないんじゃないでしょうか。
数々の神技的治療例が正史に見られますが、
腹から虫が出たり、蛇がでたりするのは、あきらかに寄生虫ですし、
そのころの衛生状態からして原生虫が原因で死ぬ確立が高かったのではと予想されます。
ここからは私の推測ですが、麻沸散(麻酔薬)を飲まして手術を繰り返し、体内の様子を把握して(そりゃ失敗もして死亡させたりはしたでしょうが・・・。)原因を突き止たり、死んだ人間を解剖したりして腕を磨いたんじゃないでしょうか。
(今の外科医も、手術の回数を増やしながら、名医になっていくんですから・・・。)
死んだ状況を細密に観察する能力に長けていたのではないでしょうか。
眩暈がするとかいうのも多分貧血でしょうし、膝にはれものがあるなんてのも、脚気の一種かも知れません。
そういう症状も、数多くの患者を診て、華佗さんは理解してたんでしょうね。
そんなスーパードクターも、さすがに曹操の頭痛(脳腫瘍だろうと言われていますが。)は手に負えなかったでしょう。
演義では、開頭手術しかないと診断して投獄されますが、
正史では、曹操の出頭命令を無視して投獄されています。匙を投げたんでしょう。それも立派な診察といえましょう。
演義では、死ぬ前に獄史に秘伝書を渡しますが奥さんに「こんなもの持っててもろくな事にならない。」と焼かれてしまいますが、
正史では、獄史に受け取りさえ拒否され、自ら焼いてしまいます。
でも、正史では、広陵の呉普が治療方法を習い、太極拳のような気を巡らす動き(体操)を実践して90歳以上長生きしましたし、彭城の樊阿は、針術を習い治療を善くしたとの記述があります。
華佗の医術は、とりあえず継承されたみたいですね。
《追記》
●太極拳の五禽戯(虎.鹿.熊.猿.鳥)は、華佗が考案したらしいですね。
ジャッキーチェンの初期の映画「蛇拳」だったか「酔拳」だったかに出てきますよね。
●正月に飲む御屠蘇も、華佗が処方したといわれる屠蘇散という漢方薬を酒に入れて飲むのが正式らしいですね。
私は酒が飲めないので、これからも飲む機会は有りそうにありません。
●脳卒中の後遺症治療薬に、「華佗再造丸」てのが有ります。
曹操の頭痛は治せなかったけど、脳の後遺症の治療薬に名前を使われるなんてチョット皮肉ですね。
●マンガ「中国医学の歴史」って本にも華佗は、神農.黄帝.扁鵲.張仲景などの名医とともに主役を張ってます。
漢方薬や鍼灸の歴史がわかり易く載ってます。
仙術を使うのは左慈、医術のほうは華佗です。
まあどっちも「後漢書」方仙伝に載ってる人物ですが・・・。後漢書が書かれた南北朝時代は、長い戦乱で「桃源郷(ユートピア)」に対する憧れが強かったんですね。汚れた俗世から抜け出て、仙界に遊びたい・・・という。陶淵明が「桃下源記」を書いたのもこの頃です。
ですから、他の正史には見られない、非常識な伝説的人物の伝記が載っていて、小説「三国演義」でも、面白いので使われているんです。
華佗は世界で初めて、「麻酔を使った外科手術」を行なった医者といわれています。
麻酔で眠らせておいてから、開腹し、病気になった臓器を切除したり、薬で洗ったりした・・・と記録されています。(このほか、虫下しを飲ませたら、とんでもなく長い虫が出て来て、華佗の家にはそういう虫の干からびたのが何匹も吊ってあった、などという気色の悪い話も載っています)
華佗は曹操のかかり付け医だったのですが、「曹操が自分を医者としか認めてくれない」ことに腹を立て、曹操の呼び出しを無視して、曹操に処刑されたということです。華佗は士大夫として、政治で活躍したい、という希望があったんですね。
「演義」では、周泰の手術をしたり、関羽のひじを治したりしていますが、これらはフィクションです。
「方仙伝」の人物(スーパー占い師・管路もそうですが)は、あんまり怪しくて実在を余り論じられていません。
ただ、江戸時代の華岡青洲が麻酔手術を目指したのは、「今から2000年も前の華佗が、すでに成功してるじゃないか」と言うきっかけであったそうです。
華佗が処刑された後、弟子たちは世に隠れて、「針の名人」ハンアくらいしか名を知られていないのです。
華佗と左慈が混同しています。
前半の記述の瞬間移動やかく乱は左慈のことです。
医術に関しては華佗のことになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿