三国志に関する質問です。後漢を滅亡のターニングポイントになった人物は誰ですか?
袁紹
董卓
曹操
その他党錮の禁に関する人物
よろしくお願いします
張角の黄巾の乱はわずか10ヶ月でほぼ鎮圧されてますし、あとは残党狩りと自称黄巾の便乗反乱ですから、後漢の屋台骨を揺るがしたというには程遠いですね。
私は何進を挙げましょう。
彼が何をしたか。
宦官を誅戮し朝政を大混乱に陥れた事。そしてそこに董卓を呼び込んだ事。
いかに董卓と言えども、朝政が混乱していなければ朝廷を牛耳る事は出来なかったでしょう。何進が宦官を殺戮して(実際に行動したのは遺志を継いだ袁紹ですが)、一種の無政府状態を作っていたからこそ可能だったと言えます。
ついでに言うなら、何進が宦官に事前に誅殺されていたのも大きいでしょうね。宦官を誅戮した後も何進が生きていたなら、朝廷の実権は何進が握り、やはり董卓の専横は実現しなかったでしょうし、後漢の朝廷を何進が牛耳って、その後も変わらず後漢の治世が続いていたはずです。
董卓は洛陽郊外で少帝と陳留王を発見した際、2人と言葉を交わして「陳留王さまこそ帝位に相応しい」と考え、皇帝廃立を実行します。
これはつまり、当初は簒奪しようとか後漢を滅ぼそうなどという意思は無かったように思われます。それを考えれば、董卓が後漢を滅ぼしたというのはちょっと違うように感じますね。
張角が群雄割拠のきっかけのきっかけを作り、
西涼から董卓がやってきて都洛陽を占拠、皇帝弁を廃位し、
その後、曹操が皇帝協・朝廷を握り、息子の曹丕が司馬懿に命じ
禅譲をせまり、漢は400年の幕を閉じました。
僕的には、董卓の時点で終わりは見えていたと思います。
暴政をしたり、女遊びが激しく、勝手に長安遷都、旧都洛陽を丸焼きにしました。
いっきに滅亡に追いやったのは、董卓だと思います。
後漢の12代皇帝の霊帝じゃないかな?
売官という金で官位を売り買いできるような制度を作り、桓帝以降財産を相続できるようになった宦官の一族や一部のエリートが中央の力を握ります。
これにより心ある清流派とよばれる人物たちは政治中央からはずされ、十常時とよばれる宦官が力を握るようになります。
↑により、民衆の心は政府から離れ黄巾賊の乱という大規模な反乱をおこし、それに対抗するために董卓や劉焉などの地方軍閥が組織され中央軍の弱体化を生みます。
張角 後漢が、統治力がなくなっていく乱の首謀者。これがなかったら群雄が力をもたないんだけどな。
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