三国志の質問です。
長坂の戦いは三国志演義の名場面の一つですが陳寿の正史にもちゃんと記載されているようです。しかしながら、この戦いの劉備が曹操の追跡から逃げられた顛末は奇跡のようです。演義は脚色が入っているのでドラマチックなのはわかるのですが、正史の記述だけでも、ありえないような史実です。5000人に追われて20人で逃げた劉備が逃げおおせた事。張飛の大喝の話。これらは本当に真実なのか。正史に書いてあるのですから本当だとかんがえるべきなのでしょうか?
劉備には多くの民が付き従った、つまり「後ろから付いていった」わけです。
当然、劉備軍の主力や主だった武将、劉備本人や家族は先頭か前よりの方にいたわけです。
これに曹操軍は「同じ方面から追撃」してきたわけですから、最初に追いつかれたのは「後ろから付いていった民衆」なわけです。
したがって前のほうに居た劉備ら主力には逃げる余裕があった訳でそれでも家族がはぐれて趙雲が救出に向かうはめになったわけです。
正史の記述をみるかぎり、演義のように劉備の家族は完全に曹操軍の真ん中に取り残されて夫人が自害して子供だけ逃がすと言うほどの状態ではなく、趙雲が一騎で夫人と子供を助け出せる程度の曹操軍が多少展開している程度の状態だったと推定できます。
張飛が大喝で曹操軍を退けたのは、曹操が張飛が自信満々一騎で待ち構えているのを見て何か策があると見て一時進撃を止めただけの事であり、事実曹操は張飛が橋を壊して退却したのを見て策なしと見切っていますが、橋を壊されたのですぐには追撃できないでいます。
正史でも演義でも劉備とその武将たちは無事逃げ切りますが、「後ろから付いていった民衆」については何も語られません。
すなわち劉備は後ろのほうで民衆がやられているのを見て逃げ出し、逃げ切ったと考えるべきでしょう。
日本でも昔から「講釈師(講談師や浪曲師など)見てきたような嘘を言い・・とある。「三国志」も史実性というより、大衆好みの英雄たちの活躍を誇張しよりドラマチックに仕立てた、エンターティナー性に重さを置いたストーリーです。例えば日本では根強い人気の忠臣蔵の大石内蔵助などは、実像は色黒い皺くちゃな梅干爺のようだったという・・映画芝居では美男子が定番だが・・さようのように、虚飾され脚色され物語を見聞する人たちにロマンを与えるように構成されたものが「三国志」であり、そのスタイルは古今東西皆同類みたいです。長坂の戦いは劉備の甘夫人と嫡子阿斗を擁護したチョウ雲の超人的奮闘で殿(しんがり)戦を見事努め、其処に駆けつけた張飛が応援、長坂の橋切って落とし敵の大軍の追撃を振り切った。三国志の中でも一つの見せ場であった次第ですね。
「事実は小説よりも奇なり」とも言いますが?
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