三国志の質問です。
曹氏の「魏」が司馬氏の「晋」に滅ぼされた最大の原因は曹家がお家騒動を恐れて親族たちに軍の指揮権を渡さなかったかため、司馬氏の侵攻を容易なものにしてしまったからなんでしょうか。
それとも他の要因の方が大きいと思いますか。
曹家を支える一族構成員・有力姻戚家・累代家臣団の層の稀薄さが曹家没落に繋った、と思います。
官渡合戦で袁紹は、「曹操の父親曹嵩は、氏素姓も不明な乞食の子供」と言う内容を含む檄文を発します。後に曹操は、檄文の作者陳琳に「父祖の事を悪様に書く必要は無いだろう」と言いますが、檄文の内容を否定してはいません。故に曹嵩は、曹家以外から来た異姓養子の可能性が高いです。
曹操の祖父曹騰は、四人兄弟の末子です。曹騰は、家族制度の禁止事項・異姓不養(異姓男子の養子禁止)を鑑み、兄達の男子を養子にする方が自然ですが、態々異姓の曹嵩を養子にします。此れは、曹騰が出世する以前に、曹仁の祖父曹褒を除く他兄弟が早逝し、曹家の男子が少なかった為の非常手段でしょう。其れ程、一族構成員の層が稀薄だった訳です。
曹操は、恩義有る秦邵の遺児を引取り、其の遺児に曹姓を与えて養育します。後の曹眞[=曹真]です。異姓養子で一族構成員を増やす曹操の策は、曹眞・曹爽親子が其々、文帝曹丕・明帝曹叡の「顧命(皇帝が臨終時に遺言を伝えて後事を託す)の臣」に選ばれた事で実を結びます。が、本来異姓の曹眞・曹爽親子が曹家代表だった事が、一族構成員の層の稀薄さを物語る良き証拠、とも言えます。此の状態で曹家を守護する事は至難です。
曹嵩・曹操親子は、共に丁家の女性を妻にします。丁夫人二人と沛郡出身で曹操と同郷の丁儀・丁ヨク[ヨク=マダレ+異]兄弟は同族の可能性が有り、更に曹操の長女清河公主が丁儀と結婚する予定だった事を考慮すると、曹家・丁家は婚姻関係を幾度も結ぶ親密な間柄、と推察出来ます。
曹家が危機の際に救援する筈の姻戚家の丁家は、曹丕が弱体化させます。曹植を支持した丁儀・丁ヨク兄弟を誅殺したのです。が、此れは、曹昂戦死の件で曹操の正室丁夫人が離縁され、後に正室に成った実母武宣卞皇后を立てる目的で、曹丕が丁家一族の排斥に動いた場合も有り得ます。結果、曹嵩・曹操親子が構築した丁家との婚姻関係は、曹丕の代で途切れます。
曹爽の参謀に沛郡出身の丁謐と言う人物が居ます。丁謐も同族だとして、曹爽・司馬懿が対立した際、彼に曹家の有力姻戚家としての発言力が有れば、曹家を守護出来たかも知れません。
晋帝国を建国した司馬家は、一族構成員の強化を進めます。其処に曹家没落の原因が有る、と思った為でしょう。此の司馬家没落の予防策が「八王の乱」を引起す皮肉な結果を生みます。
■曹丕にしろ、曹叡にしろ英邁な人物と言われていますが、その統治能力を発揮しないうちに若死にしています。
■他の長生きしている中国歴代王朝は2代目、もしくは3代目が優秀、しかも輔弼の臣にも恵まれています。漢なら劉邦、呂后、文帝、景帝、武帝。唐なら李淵、李世民、則天武后、玄宗。宋なら趙匡胤、趙光義兄弟、真宗。明なら洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝。清ならヌルハチ、ホンタイジ、順治帝、康熙帝、雍正帝、乾隆帝。
■曹家の場合、曹操が自ら軍勢を率いて戦います。そうでない場合は夏侯淵、曹仁、曹真、曹休といった一族の武将が軍勢を率いて戦っています。ただし君主の一親等以内の血縁ではなく、ある程度距離があります。
■曹真の死は、曹操子飼いの血縁武将の供給がストップしたことを意味しています。それによって一族以外の武将にに軍権が移っています。その筆頭が司馬懿であったりするわけです。
■君主の若死が続いたこと、一族の有能武将の枯渇、それにともなう権臣の台頭…。魏が短命だったのはそこに原因があるように思われます。
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