2012年3月29日木曜日

三国志に出てくる赤兎馬について

三国志に出てくる赤兎馬について

最初、トウタクからリョフへ贈呈されていますよね。

その後、カンウが愛馬として長く使っています。



普通の馬の寿命を考えると、活躍できる時間がより長くないでしょうか?



もしかして、複数の馬が居たのでしょうか?







関羽が曹操に呂布の赤兎馬を与えられたのは演義での創作ですね。



関羽は赤兎馬をもらったとき劉備の居場所がわからず仕方なく劉備の夫人と共に曹操に降っていました。

曹操としてはそのまま自分の部下になってくれることを望んで関羽に宝物などを送りましたがその宝物すべてを劉備の夫人に送り関羽は劉備への忠誠心が変わらないことを曹操にアピールしました。

次に曹操は関羽は体が大きく並の馬では数回乗っただけで乗りつぶしてしまうという情報を聞き、呂布の乗っていた名馬、赤兎を関羽にあげました。すると関羽「兄者(劉備)の居場所がわかったときまっさきに飛んでいける。」と劉備への忠誠心を語りつつ曹操に礼をいったといいます。



とこれらは演義での創作。

赤兎馬は歴史書である三国志正史の呂布の列伝(人物紹介のような物)にでてくる呂布の愛馬で人中の呂布、馬中の赤兎とかかれたところ以外記述がありません。

しかし、歴史書に名を残す馬などめったにないのでよっぽどの名馬だったのでしょう。

そんな有望な馬と神として信仰される関羽をひっかけたのではないでしょうか?

それに関羽の義に厚いところを強調するという理由もあると思います。








関羽が愛馬として「赤兎」を乗りこなしていた・・・というのは三国演義の創作、フィクションです。

創作を云々しても仕方がない。



ただ、この馬は正史「三国志」にも載っているという、実在のスゴイ馬ではあります。







(´・ω・`)まあ創作ですから。ありえない寿命ですな。

ただ馬は場合によっては62年生きた奴もいるそうですから(ギネス記録らしい)

全くありえない話でもないかもです。

馬の平均寿命は20~30くらいですが、戦場にかりだされてそんな長生きするか?といわれると・・・



汗血馬がモデルという話もありますがそうなのかはわかりません。

汗血馬というのはペルシャのほうの馬で、大宛の良馬といわれ絶賛されていた馬です。







赤兎馬は「汗血馬」と呼ばれる種類の馬ではないか、という説を聞いたことがあります。



これが真説であるならば、複数いたのでしょうね。

中国のずっと西方にいた馬ですから、中原(主に三国志の舞台となった平野部)では貴重な馬だったのでしょう。







はい、30年以上生きていたことになりますね。。。。

あくまで三国志演義の作者の設定と言うことです。

歴史に残る馬としては唐の太宗李世民の六駿が有名ですが、1頭の馬を使っていたのはせいぜい1,2年です。

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