三國志の登場人物の中でなぜ関羽だけが今でも神様になって中華街などでまつられているのでしょうか?
日本では孔明のほうが人気あるように思いますが中国人の中では関羽のほうが崇拝者が多いのですか?
関羽は、主君の行き先が見つかれば、そこに参りますとはっきり曹操にことわって「漢」に使えました。曹操から送られた物や美女は一切収めませんでした。華容道で曹操に借りを返すように言われると、逃がしてやります。「義理堅い」の権化みたいなものです。だから、商売の神様になったんです。強い意志を持ち、悪を払ってくれる頼もしい神様になったんです。孔明は読書人です。中国では読書人は商売人じゃないんです。儒家は商売しないのです(厳密にはそんなことない)。関羽は岩塩の商人だったとも言われています。実は、劉備(蓆売り)、張飛(肉屋)と共に商売人同士なんです。庶民には孔明より近しい感じがするのです。商売人は評価されなかった時代に、商売人でも信義を重んじ、世の中を良くしていこうと心に誓って実行した人達なんです。公孫瓚も義兄弟が居ました。二人とも商人でした。これらは異端なんです。「清流」と言われる読書人と付き合わないといけなかった時代です。漢朝末期はちょうど有名校出身のエリートと皇帝の親族やおつきの人との対立でおかしくなった。
そんな中、庶民(商人)、見下げられる庶民が、他人同士なのに、一致団結して正論を吐き、国を正すという物語なんです。
だから、関羽が拝まれるのです。張飛は部下に厳しいし、劉備はシンパシイを感じるものの皇帝様ですからちょっと遠い感じになっちゃったみたいな。
ひょっとしてご存じないかも知れないのでお教えしますと、左上の窓に単語を打ち込めば、検索という作業が行えますよ。
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