三国志でなぜ曹操が悪い人間だと思われているのですか?
個人的には一番すきなのですが・・・
歴史的な魏の位置づけを知る必要があります。
まず、陳寿の正史「三国志」が書かれた段階では、陳寿は西晋に仕えており、西晋は魏から禅譲を受けたことになっていますから、正当王朝は魏と定められていました。この段階では、蜀はあくまでも地方王権にすぎませんでした。陳寿自身は蜀出身なので、魏をただ正当王朝として褒めたたえて呉や蜀を貶める記述をしたわけではなく、比較的公平な視点から書かれた史書として歴史的に信用できると評価が高いです。
後に時代が下り、講談師が様々な場所で三国志を題材に語ったといわれています。このとき、魏は悪者として描かれていたかどうかはわかりませんが、話をおもしろくするために魏を悪として語った可能性は十分あります。
さらに南宋の時、有名な儒学者である朱熹は魏が後漢から禅譲したことを新の王モウが前漢から禅譲を受けて簒奪したのと同じように捉え、魏を簒奪者としてとらえました。その朱熹の影響のもと発達した儒学の学派が朱子学で、この時代にはおよそ魏を悪者として考えるようになっていたといえます。そして、蜀こそが漢の正統な後継王朝として、位置づけられました。これを蜀漢正統論といいます。
南宋の次の元の時代、三国志演義が成立します。ここでは、ご存じの通り曹操は簒奪王朝魏の建国者として、良いイメージでは書かれていません。主人公は劉備ですからね。こうして、今に至るまで物語では曹操が悪者として描かれることが多くなった、といえます。
最近になって、曹操を悪者視する傾向はだいぶおさまってきました。たしかに簒奪を狙っていなかったとはいえませんが、当時の時代情勢からいって、学問的には曹操及びその子孫が中国王朝の基礎となる部分を多々作ったこと、そういったことが評価されてきたのも大きいですし、巷ではやはり強いものに対するあこがれといったものも大きく影響しているのかもしれません。
徐州での皆殺しが一番の理由・・・かも。
日本では曹操は悪人だと思われがちですが、僕の知人の中国の方の意見は
中国では逆の意見の人が多いみたいです。
曹操は悪人というより英雄扱いを受けていて日本の信長のような感じだそうです。
物語、「お話」として善悪対立させたほうが、読者にわかりやすいからですね。
「封神演義」の殷の紂王だって悪人にされてるし、「隋唐演義」の隋の煬帝だって極悪人、「説岳全伝」の四太子だってそうですね。
しかし、曹操の「凄み」は、悪人扱いされていながらも人柄がにじみ出るところで、例えば虎牢関の戦い後の単独の突撃や、関羽を見送る場面での立派な態度など、「悪人にしたいけど・・・」その素晴らしさがあふれ出てしまい、作者もごまかせないんですね。
曹操は武人としても文人としても、そして政治家としても・・・と多芸多才のマルチ人間で評価として「非常の人、超世の傑」があります。並の人間ではない世を越えた英傑ということですが、己の天下を取るためならどんな罪悪人でも採用し、天下を阻むものなら功臣でも情け容赦なく死に追いやるところがありました。それゆえ天下を取ったともいえますが当然えげつないこともやり、不評を買うことも少なくありませんでした。董卓暗殺失敗の際、頼った父親の義兄弟に猜疑しその一家を虐殺した際、自分が他人を裏切っても他人が自分を裏切る事は許さない」といったり、父親を殺した太守を討伐する際、その支配下であった徐州の民衆を虐殺したこともあります。一説にはそれが諸葛亮(孔明)が魏の臣下にならなかった一因とも言われます。超越した才能の持ち主であったのですがその反面その人間離れした考え方は一般民衆からは到底理解されず敬遠され嫌われることにもなったようです。
劉備=善,そのライバル=悪の図式からくる演義の影響でしょう。
また,時の権力者に対するやっかみ等もあったと思いますよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿