三国志の孫権が、劉備や曹操と比べて今イチ目立たないのはなぜでしょうか?
なんとなくですけど
劉備と曹操は
一人でキャラが強いけど
孫権は周喩がいたし
どっちかっていうと
孫一族の一人って感じがします
(`・ω・)b
あれじゃないですか、曹操は禅譲というかたちで一応漢王朝から
皇帝の位をうけついでいて、
劉備は漢の劉氏一族で、孫権は名乗っただけですから・・・だっけ?
なんかの書では曹操、劉備は皇帝とかいてあるけど、
孫権はたしか諸侯の位置づけじゃなかったでしたっけ?
おそらく呉の視点で書かれた本や漫画が少ないからだと。
ほとんどの本は蜀(劉備)視点ですし、蒼天航路は魏(曹操)視点ですし。
そうだね~
俺もそれ気になってんだよ。
不思議だよね~
百科事典で調べたら、「劉備」「曹操」「諸葛亮」とかはあったけど「孫権」がなかったからねぇ~
1、曹操や劉備は三国志の最初(一般的に黄巾の乱あたりから話が始まることが多い)からいますが、孫権は後から出てきます
やはり最初からいる人物と後から出てきた人物だと最初からいるほうが印象に残ります
打ち切り漫画や小説だと出てこない場合すらあります
2、正史は魏が主役(魏書が一番記述が多い)、演義は蜀が主役、呉はどちらも主役とはいえません
3、そもそも、何故曹操、劉備、孫権なんでしょうか
初代皇帝同士なら曹操じゃなくてソウヒですし、国の基盤を作った最初の人なら孫権じゃなくて孫堅か孫策です(実際正史で も孫権より孫堅孫策の方が先にかかれている)
結局は各勢力の頭の中で一番目立った奴をそれぞれ上げて、「曹操、劉備、孫権」と並べてるだけだと思います
でも孫堅や孫策も結構目立ってます
そのせいで変わりに孫権が他の君主よりも若干目立たないのではないのでしょうか
中国のメインの歴史は、北方の遊牧系の政権が、南方の稲作系の民族を支配するものですが、たまに南方系の政権が樹立されます(その場合、「呉」という名前をつけたがるので中国史上、何度か呉が現れる)。
魏や蜀は、北方系のマジョリティのストーリーなので詳しく、ちょっとヨソ者な呉はお添えモノ。
劉備・ソウ操は自力で領土を手に入れたのに対して孫権は孫策から領土を受け継いだから。これにプラスしてソウ操・劉備は領土を拡げる拡大政策を多くとったのに対して、孫権は周囲の情勢から領土維持の政策に専念せざるを得なかったことが挙げられます。
拡大政策の多かった先代の孫策の華々しいイメージがあるのも余計に孫権の地味さを際立たせてますね。
曹操と劉備は、始めは位が低く(特に劉備はムシロ売り)かったのでしたが、
戦に勝ってゆくことによって次第に力をつけて、仲間も増やし、ついに一国の王となりました。
それに比べて、孫権は始めから王でした。
部下や参謀も最初から付いていました。
劉備が、孔明を軍師に迎えるため、何度も頭を下げに言ったのとは大変な違いです。
こういう恵まれた、冒険の無い立場が、孫権の影を薄くしているのでは?
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