三国志の曹操と陳宮について質問です。
曹操は陳宮を処刑台に送った訳ですが、陳宮の家族に対しては陳宮の生前から死後も暑く遇したと何かの本で読みました。
これは事実ですか?
報復を恐れ一族ことごとく根絶やしにする中国文化に反すると思うのですが。
>報復を恐れ一族ことごとく根絶やしにする中国文化に反すると思うのですが。
敵対勢力を根絶やしにするようになるのはもっとずっと後、少なくとも西晋末期の永嘉の乱ぐらいからであり、しかもそれは中国文化ではありません。それ以後も敵対勢力の降伏を許して重く用いた例などいくらでもあります。
陳宮に関しては、呂布ともども捕らえられた際、陳宮は「仁や孝の倫理で天下を治める者は他人の祭祀を絶さぬと聞いている。母や娘の命は公(曹操)の手にあり、私の手にはない」と発言し、曹操に面倒を見させる事に成功しています。
一族ことごとく根絶やしにすることが常識の中国社会で、あえて陳宮の家族に対してはそうしなかったからこそ、美談として話に残っているんです。
事実かどうかは知りませんが、とりあえず正史呂布伝(の註典略)にはそう書いてあります。
何故根絶やしにしなかったかも知りませんが、少なくとも曹操は妻子まで殺すことはチラホラありましたが、一族郎党皆殺しにしたのはクーデターを起こそうとして董承と息子が大反乱を起こした馬騰以外に誰かいましたっけ?
陳宮のときは袁紹に比べてまだ勢力が小さかったころだし、それに初期の重臣だったということで感謝の念もあったからではないでしょうか。陳宮を処刑することすら躊躇ってますので。
0 件のコメント:
コメントを投稿