三国志について質問です。
馬超は曹操に敗れた後、なぜ西涼にもどらず、張魯のもとにいったのでしょうか?自分の国に戻れば再起してもう一度曹操とやりあうこともできたかと思うのですが。
自国に戻っても、父・馬騰をはじめ一族200人以上が皆殺しにされていましたから、頼りになるものがいない。
実際、2度目に曹操と戦って破れたときは、涼州の兵ではなく羌族の兵を集めて戦っている。
絶望の中で頼りにしたのが、華北を統一し善政を敷いていた張魯なのでは。
馬超と韓遂が最初に曹操と戦ったおかげで、張魯に曹操の手が及ばなかったわけだし。
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