曹操はなぜ五大将軍を設けたんでしょうか?
魏の五大将は後世の後付けで、正史『三国志』にも『三国志演義』にも存在しません。
蜀の五虎将になぞらえられただけであり、曹操が五大将を設けたわけではないのです。
もっとも、五虎将も後世の創作で、劉備が五虎将という官を設けたわけではありません。
五虎将の由来は正史『三国志』の列伝において、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲がこの順でひとつにまとめられているからです。
蜀に貢献した五人の将軍がひとつの列伝にまとめられ、それが後世の『三国志演義』において五虎将という形にされたのです。
魏の五大将はこの法則を無理矢理魏にも当てはめてみたもので、張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃がひとつの列伝にまとめられていたがゆえに、彼らを五虎将にまねて五大将と呼ぶようになったのです。
まあ、実は徐晃の列伝に朱霊の列伝も入っているので、その法則だと本当は六大将じゃないのって話もありますが。
まとめると、五虎将も五大将も歴史書である正史『三国志』のくくりを参考にした後世の創作であり、劉備や曹操などの同時代人がつくりだしたものではないということです。
五大将という言葉を知っている時点で、史実でないことは知っているでしょ。
因みに筆頭は張遼だったらしい。
あれって五虎将に合わせた後付け設定(という日本語もおかしいですが)らしいですよ。曹操が設けたわけじゃあないらしいです
0 件のコメント:
コメントを投稿