「三国志演義」で周瑜は曹操と戦うことを最初から決めていたんですよね?
降伏するつもりだったけど曹操が大喬、小喬を狙ってるという孔明の嘘に怒って一転戦うことにしたっていう風に描かれているのをいくつかの作品で見たりしたのですが
羅貫中の三国志演義では最初から曹操と戦うつもりでいたのですよね??
ますます戦う決意を強めさせたとかはあるかもしれませんが
羅貫中の原本を読んだことがないのでわかりません。
しっかりとした小説だと「戦う気はあるが、孔明を試すためにわざと嘘をついたが、孔明が自分たちの嫁の話をしたので激情してしまった。」などの周瑜の心の描写がしっかりしてますよね。
最初は戦う気はなかったけど孔明が嫁の話をしたから戦う気をおこした。だと短絡的で「ホントに周瑜は大都督なのか?」って思ってしまうほど馬鹿に見えますが、孔明をよくみせる為に周瑜を貶める演義だとありえるんじゃないかと思ってしまいます。
かの魯迅も「やりすぎ」って評価してますし。
というか、女二人を献上するだけで全軍撤退、もしくは転進してくれるほど曹操が甘い人間だとホントに思うでしょうか?
もし演義曹操なら「呉を滅ぼして、そのうえで大喬、小喬ゲットだぜwwww」となるのではないかと思いますが・・・。
三国志演義における創作で、同じ音を利用した巧妙な演出ですね。
孔明が周瑜に開戦を決意させる為に銅雀台の一節を披露しますが、孔明が開戦証拠として持ち出す曹植の『銅雀台の賦』は赤壁の戦い(208年)の後、さらに銅雀台が完成した後の212年に作られたものです。
曹植は「銅雀・玉龍・金鳳の三つを高台に築き、二条の架け橋を中空に架ければ壮大な眺めになるでしょう」と曹操に提案しています。実はこれが「二喬」の出所なんです。
「喬」と「橋」は音が同じ「キョウ」であり、曹操が女好きであったからか、いつの間にか「二条の橋」が喬という名を持つ美女にすり替わってしまったと言われています。
孔明の発言で決戦を決意したというのは「三国志演義」の創作です。
降伏派が多い中、周瑜と魯粛は開戦を主張していました。
過去に似たような質問があるのでこちらもご参照くださいね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120642986
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