三国志について…
先日BSフジで放送している「三国志」をみていた所、呂布が陳宮の事を「先生」と言ってました。
また、えん術も軍師の事を「先生」と言ってました。
しかし、曹操はジュンイクの事は字でよんでました。
この違いは何でしょうか?
もう一つ質問です。
劉禅は暗君といわれてますが具体的になにがよくなかったのでしょうか?
面白い質問ですな。まあ想像ですが回答します。
演義は勿論、正史ですら不明確な点だらけなので各々の群雄が軍師たちを何と呼んでいたかは存じませんが、その番組を作った人は呂布や袁術、曹操が軍師をそう呼んでいたのだと想像したのでしょう。
仮にその呼び方の通りに呼んでいたとして、ポイントになるのは
①呂布、袁術は知略に欠けており軍師は必須の存在であった。
②曹操は自身の知略を最高レベルと考えている節があり、「唯才主義者」として才ある軍師をやたらとコレクションして喜んでる割には最終的に自分の考えを通す事が多く、荀彧の事も(非常に優秀ではあるが)数多い配下の軍師の一人としてしか見ていなかった。
③荀彧は曹操と比較して年齢がかなり若かった。
と言う事でしょう。
>劉禅は暗君といわれてますが具体的になにがよくなかったのでしょうか?
諸葛亮が出兵している時に今の民主党みたいなク●の側近の佞言に乗ってしまったり敵の計略にかかったりして、北伐中の諸葛亮を撤兵させたり、味方の姜維の足を引っ張ってみたり、鄧艾や鐘会に蜀を落とされた時も無条件降伏してある程度優遇され「これも悪くないな~」レベルの発言をした、という話が残っています。なので暗君として有名になりましたが、「本当にそんなヒドかったのか?」という感じです。事実は分かりませんが、無能だったのは間違いないでしょう。
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