三國志に出てくる人物で人肉を食べた人を教えていただけませんか。
さすがに記述は少ないですが、多かれ少なかれ人肉を食べたことのある人物は多いと思います。
戦乱の続くなかで流浪の民となった人がたくさんいたあの時代。
曹操の徐州侵攻で家を失い荊州に落ちのびた諸葛亮なんかは食べてたんじゃないかなぁ・・・。
呂布と曹操が兗州をめぐって戦っていたとき、兗州ではイナゴの大発生がおきて危機的な兵糧不足になり両陣営は戦争どころではなくなりました。
そのとき曹操配下の程イクが山狩りを行い動物の肉を調達したそうですが、そのときの肉のなかに人肉が紛れていたそうです。
劉備。知らなかったとはいえ、食したのには変わらない。
中国の歴史書にでてくる人肉の調理方法(?)は、
【臠】(きりみ)生肉を細かく刻んで食う。いわゆる刺し身。
晋の「文公」に「介子推」が股の肉を裂いて食べさせました。
凌遅という一寸刻みの刑もありますね。これも食べたんじゃないでしょうか。
【脯】(ほじし)先の臠を干して乾燥させたもの。いわゆる干物。
【羹】(あつもの)煮こんだもの。いわゆる肉鍋。
「項羽」と「劉邦」の「お前の親父を煮殺すぞ」
「お前とは以前義兄弟になっているから、俺の親父はお前の親父だ。
それでも煮るなら後で俺にも一杯分けてくれ」は有名ですね。
【醢】(ししびしお)刻んで干して麹や荒塩と混ぜ、
酒で付け込んで保存する。いわゆる塩辛。
「孔子」の弟子・「子路」が衛で憤死し殺害者に醢にされました。
最古の食人は、「紂王」が「九公」を醢にしたといわれます。
三国時代となると、「董卓」ですかね。
「蒼天航路」などだと、食人のシーンがでてきます。
奴ならあり得るかなと思わせてくれます。
あと、「夏侯惇」が自分の左目を捨てられんから食べたというのも、
食人の一種かと思います。
日本も昔は食人の習慣があったなどとも言われますが、
習慣ではなく、例外的には飢饉に瀕した時か、
英雄か犯罪者の死の際の記念食くらいのものだったと言われます。
どこの国でも、大なり小なりあった事でしょう。
マルコポーロの『東方見聞録』には、
ジパングでの食人の習慣について述べられていますが、
もちろんこれは誤伝です。(でしょう。)
0 件のコメント:
コメントを投稿