2012年3月11日日曜日

三国志の夏侯惇伝について。「曹操が挙兵すると、夏侯惇は裨将として常に征伐に随...

三国志の夏侯惇伝について。「曹操が挙兵すると、夏侯惇は裨将として常に征伐に随行した。」曹操の「挙兵」とはいつですか?裨将とはどういう将ですか?また、夏侯惇が従軍した戦いとは具体的に何が考えられますか?







挙兵、となると漢から兵を与えられた訳でなく、単純に自前で兵を

募集したことになります。事実関係から考えると反等卓連合軍を

結成した時期のことと重なるので、曹操が洛陽から逃げて、半董卓

連合に入る時のことだと考えられます。



この時曹操は確か奮武将軍(自称)を名乗り参加しています。裨将

は将軍の副官を指しますので、奮武将軍を名乗った曹操の副官と

して参加していたのだと思います。



宦官虐殺が行なわれたのが189年8月末頃、董卓が専横しだたのは

その後で、曹操はその頃に都を脱出して軍を興したと考えられるので

時期的には189年末頃のことではないでしょうか。



ちなみに夏侯惇の東郡太守任命は190年よりも数年後の話なので

はないでしょうか?と言うのも曹操自身が東郡太守になるのが191年

の頃であり、この時期は橋瑁が東郡太守であった訳です。いきなり主

を越えて太守の役割に着くとは考えにくく、これは曹操が東郡太守から

エン州牧へと昇進した後(192年ごろ)の話ではないかと思います。

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