三国志の夏侯惇伝について。「曹操が挙兵すると、夏侯惇は裨将として常に征伐に随行した。」曹操の「挙兵」とはいつですか?裨将とはどういう将ですか?また、夏侯惇が従軍した戦いとは具体的に何が考えられますか?
挙兵、となると漢から兵を与えられた訳でなく、単純に自前で兵を
募集したことになります。事実関係から考えると反等卓連合軍を
結成した時期のことと重なるので、曹操が洛陽から逃げて、半董卓
連合に入る時のことだと考えられます。
この時曹操は確か奮武将軍(自称)を名乗り参加しています。裨将
は将軍の副官を指しますので、奮武将軍を名乗った曹操の副官と
して参加していたのだと思います。
宦官虐殺が行なわれたのが189年8月末頃、董卓が専横しだたのは
その後で、曹操はその頃に都を脱出して軍を興したと考えられるので
時期的には189年末頃のことではないでしょうか。
ちなみに夏侯惇の東郡太守任命は190年よりも数年後の話なので
はないでしょうか?と言うのも曹操自身が東郡太守になるのが191年
の頃であり、この時期は橋瑁が東郡太守であった訳です。いきなり主
を越えて太守の役割に着くとは考えにくく、これは曹操が東郡太守から
エン州牧へと昇進した後(192年ごろ)の話ではないかと思います。
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