三国志の曹操と織田信長・・・
似ているような気がするのですが、どうでしょうか?
似ているとよく言われますね。
合理性を重んじた政策、実力主義、目的達成のためなら虐殺をもいとわない冷徹さ…
お互いに文学も好きですし、先進的でもあります。
その才能ゆえか子供のころは鼻つまみ者だったりとか。
挙げれば挙げるほど似てますねw
確かに似ているところも多々ありますね。
人材登用とか。
似ていないのは信長は味方に殺されたこと。
曹操の部下はほとんどが忠義に厚いですし。(劉備、陳宮は論外)
そして信長は一向一揆などの宗教がらみの一揆を武力を持って鎮圧したのに対して
曹操は青州黄巾賊を討伐したあと、主力に組み込むという信長とはまったく違う発想をしていたというのも違うところですね。
信長は長身だったが
曹操は身長にコンプレックスがあるほど短躯だったところは
唯一対照的ですね。
私も一時期似ていると思いましたが、曹操は、193年秋に実父の曹嵩を徐州牧の陶謙の部下に殺され、復讐の鬼となり罪の無い領民を何十万人も虐殺しました。
ですから、信長と似ているとは言いにくいと私は思います。
配下の出目を問わなかった点、文化・芸術を愛した点は完全に重なりますし、民間信仰を淫祀邪教として弾圧した曹操と、既存宗教勢力を弾圧した信長にも通じるところがあります。
しかし、濁流派とはいえ権門出身で、若い頃から朝廷の中枢に関与した曹操に比べると、どこの馬の骨ともわからぬ小豪族出身で、今川義元を破ってはじめて世間に名の知られた信長との差は大きいです。また、恐怖政治を布いた信長に対して、公平な法治主義的統治を行った曹操の違いも大きいといえます。
まぁ、三国志の3人(曹操・劉備・孫権)の中で誰が一番信長に似ているかといえば曹操になるでしょうが、一般的に似ているといえるほどではないと思いますよ。
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