2012年3月11日日曜日

三国志演義と正史では色々と異なることがでてきますが、 個人的にすごく差があるな...

三国志演義と正史では色々と異なることがでてきますが、

個人的にすごく差があるなーと思うのはどのシーンですか?







『演義』では曹操の南下作戦に於いて、曹操はその前に夏侯惇に十万の兵士を付けて派遣するが、孔明の作戦でこれに大勝した。となっているが、実際にはこの戦いは孔明が劉備軍に参加する前の話である。



赤壁の戦いに於いて、孔明はあまり目立った事はしていないが、『演義』に於いては非戦論に傾いていた孫権・周瑜を説得して交戦に向かわせる。戦いが始まってから周瑜は孔明の才能を恐れるようになり、孔明に対して10日で矢10万本を作れと言う無理難題を突きつけて殺そうとしたが、孔明は霧の出た夜に曹操軍に対して夜襲を仕掛け、曹操軍が打った矢を鹵獲して帰った。更にこの戦いでは曹操軍を火責めにすると決まっていたものの風が北西の風しか吹かず、このままでは火を付けてもその火が自分たちに帰ってくる事がわかり、周瑜は悩んでいた。そこで孔明は壇を築いて祈祷し、東南の風を吹かせ、曹操軍を焼き討ちにしたとなっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%91%9B%E4%BA%AE








曹操の扱いもかなり違いますね

史実の曹操は善政を布く優れた政治家であり武将です







演義なんだから、違っていて当然です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・







孔明が赤壁で100万本の矢を集める場面。たしか実際は周喩の発案で呉が行ったと聞く。孔明に関し正史では有能な政治家となっているが、演義では世界でも屈指の大軍師。彼が一番史実とのギャップがあるのではないかなぁ。

0 件のコメント:

コメントを投稿