三国志演義の作者は、曹操と孫権のどちらを特に嫌っていたと思いますか?
曹操が嫌いだから悪役に仕立てたとも考えられますし、孫権が嫌いだから脇役で冷遇したとも考えられるのですよ。皆さんは、どのように思いますか?
曹操ですよ。
そもそも正史三国志を編纂した人(陳寿)は、蜀の武将(陳式)の一族(子とも)で蜀滅亡後に、魏を乗っ取った晋に仕えて、晋の皇帝の命令で正史三国志を編纂した人です。
よって、魏・晋を正統・主軸に置きながら、蜀を尊重する書き方をしているといわれ、呉はそっちのけです。
つまり、正史の時代から呉は冷遇されているわけです。
例えば、曹操を「太祖」「公」と呼び、劉備・劉禅を「先主」「後主」と呼ぶ一方で、孫権の事は「権」と呼び捨てにしています。
この傾向は、三国志演義でも引き継がれています。
記録によると、宋の時代にはすでに、劉備を善、曹操を悪とする講談や伝説の類が一般で好まれており、明初期の羅貫中がこれらをふんだんに取り入れて書いた小説が三国志演義です。
この為、当然ながら、悪意をもって曹操を悪としていて、それでいて正史を元にしているので孫権はそっちのけなのです。
言い方は悪いですが、単純に作者たちは呉が眼中になかったということです。
元々三國志演義は劉備を主人公としたもの
そしてそれに対する悪役として最も適当だったのが曹操です
漢室再興を目指す蜀と漢室を滅ぼすことになった魏
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