2012年3月23日金曜日

三國志 江東の小覇王 孫策は、誰に殺されたのですか?

三國志



江東の小覇王 孫策は、誰に殺されたのですか?







確か孫策は会けい(呉の南?)太守の許貢の食客らに殺されました。

太守の許貢は曹操と結託して孫策を殺そうと画策していて

それが発覚して孫策に殺されます。

しかし許貢を慕っていた食客らがかたき討ちをしその傷がもとで死にいたります。

ちなみに孫策は深い傷を負ったにも関わらず食客の1人を斬り殺しました。

大喬はそのまま孫権に仕えたのではないでしょうか?

赤壁の戦いのときの曹操の真の目的は江東の二喬だったとも聞きますし・・・








流れ矢に当たって死んだんじゃないでしょうか







孫策の死を「演義」は干吉の崇りがもたらしたとするのは「呉書」孫策伝に引く干宝の「捜神記」(そうじんき)の記載をそのまま用いたもの。実際は呉郡太守許貢の食客が許貢を殺害された復讐で狩りにでた孫策を弓で射て、その怪我がもとでなくなりました。

大喬の消息は結婚後呉に移されてからの記載はありません。

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