三国志の曹操の事で質問があります。
曹操は董卓の暗殺に失敗して、逃げる途中に助けた呂伯者?だったかなを自分のミスで殺してしまいますよね。
けど、あれって演技の創作の可能性があるって聞いたのですが
本当でしょうか?また正史では馬超の親父さんの件も馬超の方が先に反乱を起こしたから、馬騰は処刑されたんですよね。
演技では曹操が最初に馬騰を殺したとなっていますし、結局、演技は劉備=善、曹操=悪にしたいから創作してる部分もあるんですよね?曹操は日本史でいうと織田信長の位置位にいると個人的に思っていますので、三国志では結構好きですけどね。
咎められる非って言っても、結局、乱世だし悪いやつなんて多くいてるんだし私は彼がやったことは全て正しいと思いますけどね。
除州の大虐殺も、親父を殺されたんだし陶謙を討伐しようとしたのは当たり前だと思う。手っ取り早いのが民の虐殺で己の恐ろしさを示すのに丁度良いと思いますし私でもそうすると思いますね。孔融や華多の件も逆らったからいけなかったんだと思う。そんな所で思いやりだしたらやられますよ。
まず、曹操のやったことは全て正しいという固定概念は捨てた方がいいかと…
曹操でも間違ったこともしますし、失敗もします。
その最たるものが、あなたのあげた徐州大虐殺です。
下の方も言ってますが、いくら父親を陶謙の部下に殺された(実際彼の命令だったかもはっきりしません)からといって、私怨から無辜の民衆を殺戮していいはずがありません。
そういった道徳上間違っているだけでなく、戦略の上でも、大きく間違っています。徐州知識人を南へ逃してしまった(一説では、孔明に曹操への強い反感を覚えさせたのもこの事件がきっかけとも)のもそうですし、呂布に領土を奪われかけたのもそうです。
実際曹操は、為政者としても、武将としても、素晴らしい人物です。
演義に多少判官びいきなところがあるのも事実です。
しかし、やったこと全てが正しい人間など、これまでも、これからも現れることはないでしょう。
たいていの部分は下のお二人がお答えになってるので、馬超の件についてお答えします。
確かに『演義』では父や弟達を殺された馬超が敵討ちに立ち上がるストーリーですが、正史を見る限り、幾度となく反乱する馬騰に手を焼いた曹操が勅命を出させて馬騰を中央に召し上げ、それからずいぶん経ってから馬超が韓遂に担がれ反乱した…というのが実状です。馬騰は息子の責任を取らされて死を賜っています。
まあ、実際は馬騰が敢えて馬超だけ置いてきたので、いずれこうなる事は馬騰にも分かっていたと思いますがね。
なんか最近こういう質問になってない意見をまくし立てる投稿多いな…
質問にのみ答えます。呂伯者の件は一応正史にも記述があります。ただし本文ではなく注、「魏書」・「世語」・「雑記」の複数の記述があります。魏書は当然魏を持ち上げる書物なので、呂伯者が曹操を脅し仕方なく…という記述。世語・雑記は曹操の早とちりで呂伯者一家には非は無いという書き方です。呂伯者の件が創作かどうかは分かりませんが、少なくとも演義に出てくるだけの話ではないです。
その他意見は質問者様がそう思うならそれでいいと思います。否定も肯定もしません。ただ一つだけ。曹操の徐州虐殺は(これも虐殺と呼べるほどの事だったかはイマイチ分かりませんが)非難されて当たり前。曹操自身もこのことで相当苦労します。陳宮が反乱起こすわ徐州の士大夫が江東に逃げ散って呉の肥大化に貢献し曹操を非難する大義名分になるわと戦略的にも道義的にも誤りだったと思います。
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