三国志の曹操という人物はどういう人だったのですか?長所、短所はどういうところですか?
曹操。彼は宦官(去勢され皇后や皇帝の世話をする職。漢の時代に主流だった儒教の考えでは親から貰った身体の一部を自ら切除した宦官は忌み嫌われる存在)の孫で幼少の頃からそのことについてよく馬鹿にされていました。
そのため彼は家柄や性格は問わずに才能ある人物を重要な職につけました。その時代では斬新な
人材登用は日の目を見れなかった人の才能を開花させました。
そのため曹操には、絶対的な忠誠を誓い自分の命をもいとわない家臣がたくさんいました。
代表的な例として典韋でしょう。彼は奴隷出身の人物で無双の怪力を誇りその為、曹操の護衛を任されるほど重用され彼は寝る間も惜しんで曹操の護衛をしました。
あるとき、曹操は一度降伏した敵に裏切られ絶体絶命の窮地に追い込まれました。
そのとき、曹操を逃がし曹操が脱出した城門で典韋は、弓を全身に浴びせられ普通なら死んでしまう重傷を負ったにも関わらず命尽きるまで戦い最後は城門の前で立ったまま死んでしまいました。
曹操は典韋の活躍のおかげで負傷しつつも生き延びることができ典韋の死をとても悲しみました。
他にも曹操に対して絶対的な忠誠を誓った家臣は山ほどいたそうです。
それに曹操は若い頃だけではなく常日頃から勉強を怠らならい人物でそのほかにも詩、武術、政治面でも天才的な才能を発揮し、三国志の著者には「時代を超えた英傑」と評されるほどである。
その曹操の戦績は67戦58勝9敗とまさに武帝と称される人物であったと思われます。
しかし、曹操は非常に風采が悪かったそうです。
そのため根っからのはひねくれ者だったようです。
あるとき、異民族から使者がきたとき、曹操は自分の容姿では自分の威光を示すことができないと影武者をたてて自分は近衛兵として隣にいることにしました。
そして使者が曹操と会い、その印象を聞いてみると「威風堂々とした立派の人物だった。しかし、隣の近衛兵の方が威厳があった」といい、その後その事を聞いた曹操はスグにその使者を追わせて殺したという逸話。
このように本当にひねくれてるんですよ。そして容姿に自身を持ってない。
まぁそんな短所を全て包み込むぐらいの才能を持っているのが曹操です。
長所は今から2千年も前の人物なのに、大変な合理主義者であったこと。「迷信」の類が大嫌いで、虚礼や見せ掛けの態度を嫌いました。当時は見た目や過去・家柄が、重要な出世のポイントでしたが、曹操は「実力中心主義」を貫き、また大志は一人では達成できないと人材捜索に力を入れています。
意外なところでは、かつて不良少年だったせいか、少しでも縁のある人には親切であったこと。
袁家追討戦では、川の氷割りがつらくて逃亡した兵たちが、知らずに曹操の本陣に迷い込んでしまった・・・。曹操は「こんなところに来られたら、見逃してやれんじゃないか!」といいつつ、逃がしてやったそうです。
呉から送られてきた関羽の首を、かつて自軍にいたことがあるというだけで、「侯」の格式で葬ってあげたりしています。
ある行軍途中、たまたま若い頃世話になった橋玄(「君は治世の姦賊、乱世の英雄だ」といった人)の墓を見つけた曹操は、軍を止め、盛大な葬儀をしてあげました。「自分の今があるのは橋公のおかげ」と、涙を流したそうです。
臨終の際には「敵はまだいる。大げさな葬儀は不要である」と遺言してもいて、死ぬまで「虚礼ぎらい」でした。
古典としては、忘れられかけていた「孫子」を復興させたのも、曹操の功績でしょう。
短所は、若い頃は結構「キレやすかった」こと。徐栄にコテンパンにやられたときに、「オレの天運はここまでだ!」と死のうとしたり、父の恨みを晴らす出兵で、徐州の住民を虐殺したり・・・。
また晩年は年のせいか、作戦にキレがなく、敗戦も多いことでしょう。
それでも、「超世の傑」と言う評は、その通りだと思います。
その出身や身分に関係なく、人材を登用し、活用するのは曹操の美点です。
曹操とその父親を中傷した檄文を書いた敵軍の文人までも召し抱えたほどです。
また、軍人としても優れています。現在我々が読む「孫子」は、曹操が注釈を入れたものが
一般的です。中国のナポレオンと讃える人もいます。
詩人としても優秀ですが、その子 曹植は父を超える詩人でした。
幼くして亡くなった曹操の子は、南国から献上された象の重さを量る方法を、他の大人たちが
考えあぐねている時に、
「舟に乗せて、沈んだところにしるしをつける。次に象の代わりに重さの判る物を乗せて、
同じところまで沈んだら、その重さを量れば良い」と答えました。天才一家なのでしょう。
欠点としては女性に弱いことでしょうか。敵地で人妻に溺れて、逃げるタイミングを逸し、
そのために長男が戦死しています。
マンガではしばしば美男に描かれる曹操ですが、実際のところ容姿や身長にコンプレックスが
あったようです。
他国から使者が訪れた時、部下の中で背が高く、容貌も美しい者を選んで代役を命じました。
自分は衛兵のふりをして、そばに控えていたそうです。
後で「曹操をどう思ったか?」、使者の感想を調べました。
「曹操は見かけは立派だが大した人物では無い。ただし、そばにいた衛兵は英雄に見えた」
このエピソードから判るのは、曹操がいたずら好きであること、そして見かけは悪いが、
ただ者では無い雰囲気のある人物ということです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
織田信長に気性は類似しているが、兵法を知っている点では、三国志の中心人物で優れている。
しかし、才能が優れているため、優秀な人材の末路はあまりよくなかった。
気性が激しいのが特徴だが、金持ち貧乏人に隔たりなく実践で評価する人物であり、
評価に値すれば重要なポストに入れた。
残念なことに東洋人で初めて、全身麻酔で開頭手術した華陀を牢獄した。(一生)
その全ての証拠は隠滅されたと言われている。
若い頃は本当の文武両立した頭の機転のきく人物。
しかし、天下をほぼ握ったあたりから、側近に対して猜疑心が増幅した。
まあ、年をとればみんなそんなものということです。
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