三国志の曹操の墓について
発掘されたことにたいして
誰が何を根拠に何を主張しているのですか??
どのような事柄かも説明していただければ幸いです。
1998年、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村で発見された後趙時代の武人の墓誌から、同村付近にあると推定。
2005年、発見された同地の大型古陵が墓誌に記された方位と「元和郡縣圖誌」と合致、曹操の陵墓とし発掘調査を進めた。
結果、約740平方mの面積の陵墓から、曹操を示す「魏武王」と刻まれた石牌等200点以上の埋葬品、60代前後の男の遺骨、女2人の頭部や足の遺骨が発見され、河南省文物局が曹操の陵墓であると2009年12月27日に発表、中国社会科学院等他の研究機関も曹操高陵の可能性が高いとしたが、まだ真偽は不明。
中国の研究は「最初に結論を決め、後から結論に導く証拠を探す」というやり方で行われます。
結論につながらない証拠は廃棄され、ときにはデータを改ざんしてまで結論に導こうとします。
最初に決めた結論は中国政府や共産党が期待するものでなければならず、決して当局の意に反する結論にしてはならないのです。
今回の墓の場合、もともと曹操は墓主の候補のひとりにすぎなかったのですが、現地政府関係者が「曹操の墓ということにしろ」と言い出して、曹操の墓であることを証明できる学者だけに調査させ、否定する学者の立ち入りを許しませんでした。
結局、決定的な証拠を発見することができず、後はダンマリのまま今に至ってます。
たぶん、否定派の学者が調査すればすぐに結論が出ると思います。
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