三国志に出てくる「しばい」という人物についてお尋ねします。
何度か曹操の誘いを断って逃げ回っていたようですが、どうして逃げていたのでしょうか?
また、気が変わった理由がわかれば教えて下さい。
魏を奪うほどの野望は在野当時は無かったかもしれませんが、やはり元来野望は強い人間なんでしょう。
私が知っている知識では司馬懿はまず才覚目覚しい曹沖(8男)という曹操がもっとも愛した息子の教育係として登用されます。
しかし曹沖は若くして死去。その為、曹丕、曹植、曹彰の教育係を命じられるが、曹沖亡き後、曹操が3名の誰を世継ぎにするかハッキリせず、世継ぎ外の教育係となってしまえば将来自分の立場が悪くなるので、3名の教育係を病気と偽り辞退します。その後、曹丕が世継ぎになりそうだという事が分り、司馬懿は曹丕の教育係を引き受けます。そして曹丕から絶大な信用を得るようになるのです。
ようするに自分の安売りをせず、逃げる事によって高く売り込んだのかもしれません。
まー当時の司馬懿の気持ちは誰がどんな事を書いたところで本当のことは分りませんがね。
なんせ1800年前の1人の人間ですから
司馬懿(しば-い)の任官のいきさつをお尋ねなのでしょうか。
司馬懿がなぜ曹操からの出仕要請を断り続けていたのかは、正確にはよく分かっていないと思います。河東の名門出身として宦官の子に仕えるのを嫌がったとか、曹操の目指す政治や体制と自らの指向するものが違っていたからとか、色々言われてはいますけどね。
分かっているのは、曹操の度重なる出仕要請を断り続け、病気と称して家にこもっていた…という事実だけです。
それが何故、一転して出仕に応じたのか。それは曹操が使者に対して「本当に病気かどうかを確認し、もしこれ以上出仕を拒むようなら殺しても構わん」と命じたと知ったからです。
実際に司馬懿は仮病を使って言い逃れており、これ以上拒否すれば殺されます。そうなれば名士として高名な父の名にも、一族の家名にも、すでに曹操の元に出仕していた兄の顔にも泥を塗る事になります。
それで、司馬懿は観念して曹操の元に出仕しました。西暦208年の事です。
自分の一族より劣る曹操の一族の家臣になる勇気がなかった。
曹操による袁紹一族の虐殺を見て歯向かい続けると命の危険を感じたのでしょう。
誘いとは何の誘いでしょうか?
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