三国志一の兵略家はやはり曹操ですか?(演義では孔明ですが)
孔明も臨機応変などは苦手ですが大軍での戦いはうまいと思います シバイが孔明こそまさに鬼神だと言ったほどですから(演義ではない) シバイはただじっとしていただけですから個人的には好きじゃないです
カクカもいいと思います かれがいなかったらもうちょい苦戦してたと思います
カクショウも孔明の巧みな攻城兵器を使った攻撃からみごとに城を守りました
いやーやっぱり孔明でしょう。
あと10年寿命があれば三国はどう変わってたかわかりません。
郭嘉の方が兵略家だと思います。
死に際に曹操に託した一つの策により曹操は戦いをすることもなく、相手を降伏させました。曹操も「官渡の戦い」での戦功で兵略家といわれますが、最後まで魏の事を思い策をめぐらした郭嘉の方がすごいと思います。
三国志の中では、諸葛孔明みたいに良い格好はしていませんが、その姿もカッコいいです!!!!!
天下三分の計を成し遂げ、三国時代を造った諸葛亮孔明に一票。
孔明健在の間は魏の侵略を許さなかった、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」は有名。
君主の器、優秀な政治家・兵略家・発明家
司馬懿仲達は曹操の創り上げた「魏」の中で出世に成功した人物。
優秀ではあるが、魏という豊富な人材の中でライバルも多く謀略家的一面が強く兵略家としては果たして優秀であったか疑問。
対蜀は「張コウ」、対呉は「張遼」等優秀な司令官をはじめ豊富な人材(曹操の遺産)に恵まれたにも関わらず、煙たい人物達を冷遇した。
結局孔明が健在中は戦で勝てなかった。
孫の司馬炎(晋王)の存在が大きく後世で評価される。
孔明と司馬懿が敵ではなく同じ国で出世争いをしたならば司馬懿が勝っていたであろうが、軍略・兵法では孔明の足元にも及ばない。
やはり一番となれば司馬懿では?結局最後に勝ったのは司馬懿ですし。ただ、曹操は軍師とか言う立場ではない中では圧倒的に一番かと。
孔明に関しては、その時の魏と蜀の状態(兵や将の質など)の違いなどを考えると北伐だけで決めることはできない気がします。かといって孔明が自分で率いた戦いは他にほとんどないのでどうしようもないですが…
まぁでもやっぱり兵略家としてはやっぱり司馬懿のほうが上じゃないですか?後はカクカやホウトウとかもありそうですが、結構すぐ死んでしまったんで分からないですね。
曹操は兵略家というよりは戦略家
兵略という意味合いでは、カクカ、司馬懿あたりがカタい。
諸葛亮は兵略という意味では上記二人に劣る。
七度も北伐を繰り返した挙句その全てに失敗している時点で、ね。
孫子兵法に照らし合わせても、孔明の行動は是といえない。
司馬懿ですかね。
曹操は将の将という意味ではずば抜けていると思いますが・・・
曹操が謀略に長じ、軍の統率にも大いに長け、また兵書を編纂し評論できるほどの確かな戦術理論を持っていたとしても、荀彧・荀攸・郭嘉等の進言・献策を的確に見極めて取捨選択しながら軍事上のはかりごとを行っているのに対して司馬懿は・・という意味で兵略家としては司馬懿の方が上ではないかと思いました。
司馬懿も曹操も諸葛亮よりは兵略家としては上かと。
司馬懿仲達じゃないですかね。
曹操は実際孔明には勝てませんし、
孔明に勝ったのは仲達ですから、
やっぱり仲達でしょう。
最後に笑ったのは司馬懿。
日本史における鎌倉幕府にとって北条一族みたいな?
まず知っておいて頂きたいのは(ご存知かも知れませんが)、『三国志演義』は史実をネタにした創作だということです。
内容はといえば贔屓の引き倒しで、単純化するなら『蜀は善、魏は悪、呉は蜀の味方をするときは善で魏につけば悪』という勧善懲悪モノのように解りやすい構成になっています。ですから、演義における蜀将たちは常に割り引いて評価しなければなりません。
そのうえで述べるなら、やはり三国志一の名に相応しいのは曹操かと思います。
早々に献帝を抱き込み、中原を掌握し、九品官人法を採り、屯田制を実施するなど、具体的な戦術・戦略以前の段階でたとえば劉備などと比べると卓越した才と辣腕を発揮していますので。
周瑜か孔明だと思います。
赤壁の戦いでの2人の知略は素晴らしいので。
帝を手の内につけた曹操は,ある意味では兵略家かもしれませんね。
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