『三国志』の曹操と毛沢東の関係(文化大革命期における)について詳しく取り扱った書籍をご存じないですか?もしくは『三国志』と日中両国人との関係でもいいです!よろしくお願いします!
毛沢東は、文革の時、それまでの曹操=悪党というイメージを覆し、曹操を高く評価することで文革に利用したと、聞いたのですが、その事についてもっと詳しく知りたいと思います。また『三国志』が、現代の日中両国人に与えている影響や、受容の変遷などについても詳しく解説してある書籍はないでしょうか?
毛沢東は、
批林批孔運動として、1973年8月から1976年まで、
林彪と孔子及び儒教を否定し、罵倒する運動を繰り広げました。
中国の思想のうち、
法家を善とし儒家を悪とし、孔子は極悪非道の人間とされ、
その教えは封建的とされ、
林彪はそれを復活しようとした人間であるとする考えです。
こうした儒法闘争と呼ばれる歴史観に基づいて中国の歴史人物の再評価も行われ、
善人と悪人を分けました。
【善人】
少正卯、呉起、商鞅、韓非、荀況、李斯、秦の始皇帝、漢の高祖、漢の文帝、
漢の景帝、曹操、諸葛亮、武則天、王安石、李贄(李卓吾)、毛沢東ら。
【悪人】
孔子、孟子、司馬光、朱熹ら。
特に、
「自分が他人をだますことがあっても、
他人が自分をだますことは許さない(そうなる前にその人を倒す)。」
という言葉を気に入っていたように、
毛沢東は曹操に対して強い思い入れをもっていたようです。
毛の詩の才能は名高く、
本人も、「沁園春・雪」という詞の中で
歴代の皇帝の中でも自分ほど文才のある者はいないと述べたように
絶大な自信を持っていましたが、
その毛でさえ、曹操の詩だけは自分に匹敵すると思っていたそうです。
文化大革命期には、「海瑞免官」や「水滸伝」論争など、
歴史上の人物や小説の文芸論に
政治的メッセージを込めるという知的(陰湿?)な政争が流行しますが、
その中には
「曹操の名誉回復」
(関連サイト探しましたが、見つかりませんでした。)
という論文もありました。
おそらく「戦場の詩人」という戦略家と芸術家という両面を兼ね備えた美学を
自らと重ね合わせていたのではといわれています。
郭沫若(かくまつじゃく )[1892~1978]が、
論文「替曹操翻案」を発表しており、
これは当時悪人扱いだった曹操の評価を改める大議論のキッカケとなりました。
ちなみにその際に発表された論文の数々は
郭沫若のものを含めて『曹操論集』という書物に編集されています。
↓「替曹操翻案」です。参考まで。
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDov...|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,
魯迅[1881~1936]も曹操を積極的に評価する旨の記述を残しています。
下の方がもう既に詳しい回答をされていますが、毛沢東は幼い頃から三国志演義の大ファンで、「人民は阿斗になってはいけない」だとか、政敵・楊尚昆に対して「お前は魏延だ」などの発言を残している、という旨の記述が処々に見られます。
ただ後者の方は、明確な出展がないとも言われていますが。
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